-----no.5790---2012/--01月25日(水、朝)
午前書類整理、午後碧南へ。
整理していると入場招待券が有り、今日初日。
図書館で、本を借り換え(昭和天皇伝を借りる)、
そのまま、衣浦大橋を渡る。
静かなものだ。
二時間位居た。
その間、五六人も過ぎて行ったか。
古文書関係も、殆ど目を通した。
読んだ訳では無い、そんな能力はまだ無い。
衣浦は「きぬうら」か「ころもがうら」か、
今そこは論じないが、
豊田に「ころも」と云う地名が有り、それは個人として懐かしい。
何故これを言うかというと、
そこまでが「浦」が以前有ったと言いたい為である。
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東浦辺、そう遠くない未来に、
刈谷との間は、境川がどぶ側程度になるかも。
イオンが出来て、刈谷方面、三河からも通えばそうなる。
何が言いたいのかと言うと、
碧南は半島状だったと思える事だ。
江戸時代、鷲塚辺まで船が行く津だった。
(東浦も船が入った。)
知多半島で言えば、半田である。亀崎かな?
時代は今は、車で有るが、大橋はやはり込む。
展覧会の図録は入手した。
序に、清沢満之も手に入れた、之は新しい。
まだ、どちらも読んで無い。
未読が、少したまった。
館内で写真を取る、と言っても、説明文だ、これがめんどくさい。
テクノコと云う会社の図だが、少し話した。
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九重味醂を少し歩いた、
記念館は休みでも、会社は堂々の現役である。
此の道沿いに堂々の店がある。
店と言うか、記念館と言うか・・・。
古いらしい、「鍋勘商店」と云う。
想像するに「鍋屋勘兵衛」か??
見せてくれると言うので、中に入る。
江戸時代の「鉄」が有った。
鑿(のみ)は、播磨で、まだ現役と云う。
釘も亀崎辺のまだ有ると聞いた。
太鼓の鋲もある。
町お越しとして、
古いのがほしいし、道は広くなつてしまったし。

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