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-----no.5947------2012、02月04日(土、午後)
朝、寒い朝(吉永小百合ではない)だが、
起きて10分で、でる、一時間前に。
駐車場の空いてた、散歩気分で集合場所へ。
少し寺の「泣き龍」も見る。蟇股が龍だ。
泣いたか泣かないか。
朝早いのは良いが、一人だけなら鳴いてくれたか。
集合して出発。
右図の表が、今日聞いた内容と、それぞれの発表者
立派であり、気後れする。
俺、調べたが、解らん事ばかりで、つまり内容が無い。
疑問だけしゃべつて、終わった、以下の文が、その原稿だ。
原稿でも、「解らん」を繰り返している。
奇特で、親切な人が入れば、教えて欲しい。
郡役所に小栗三郎が居た様だが、郡長は誰か、

私のは、駄文だが、
それ以外の人は、是非原稿を読ませて欲しい。 ----------d20120119半田恋史記.mem-----------
2012,02,04
C_Groupe 杉浦春良
  「半田恋史記」

 変な題である、まともな内容が書けないので、
随筆的に書くので、許されたい。
 私、名古屋生まれであるが、何故か「半田」が懐かしい。
小学生時分から、この街の名前は知っていた。
知多半島で、東海市(昭和44年)や知多市(1970年)など、
新しい町が誕生してくる。
半田と常滑は、歴史のある街と、何となく認識していた。
常滑は窯業の町で、
認識がはっきりしているが、
半田が解らなかった。
青春時代になり、
高倉健のヤクザ映画、例えば「昭和残挟伝」に町が出てくる。
江戸で言えば「深川」か、大阪なら「船場」か。
義理と任侠の世界に、功利的な新しい世界が割り込んでくる。
耐えかねる嫌がらせに、任侠高倉健が一人で引き受け殴り込む。
その前、見越しの松の倉庫の前の掘割の柳の下を歩き行く。
半田のイメージが之であると最近理解できた。
銀座本町二丁目の東西道路は広くなって居るので、昔を偲べにくい。
銀座本町の南北道路は、想像をたくましくすれば、
人力車を走らせる事ができる。
江戸、明治、大正、昭和があるが、半田は明治だ会う。
次に交通を考える、船から鉄道に。
次に行政が来た。知多郡役所だ。
明治11年に設置で、大正15年に廃止とある。
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江戸時代は、鳴海陣屋と横須賀陣屋。
東海岸を鳴海陣屋で、西海岸を横須賀陣屋で、治めた。
半島北部が町であった。半田は東海道から言えば、鄙びた位置だ。
商業、工業が興り、実力を養い、でも田舎である。
此処で「田舎」の定義を確認すると、「消費地でない」である。
それを、町にしたのが、郡役所である。
何故、役所が来たか?それが、武豊線だ。
先日、有松の絞会館に行き、聞くと、
「有松は、知多郡で、半田の郡役所へ、書類を提出しに、
行ったものだ」そうで有る。(何で行ったか聞き逃した)
汽車で行ったと想像する。
江戸時代が何時終わったか?廃藩置県か西南戦争か。
私の意見は、時代が変わるのは時間が懸るであろうと思う。
士族という名前は残るが、西南戦争で、市民・国民が誕生したと言える。
郡役所は大正15年で廃止になる。
では此の約五十年は、時代がどの様に変わったかを考える。
これを私は「鉄道も伸びていくが、車もそれを追っかける時代」とする。
「追っかける」は、司馬遼太郎は「坂の上の・・」という事になる。
半田は「明治時代追っかけた町」と特定する。
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 ここからは。一般論である。
 歴史の町は、多くある。例えば奈良、例えば京都。
京都などは、何時の時代もある、或ときは、
平安時代の紫式部を探し、或ときは、幕末で坂本竜馬を探す、
又は、信長を探す人もいる。
片や、奈良は、殆どの人は、八世紀の所謂奈良時代を探しに行く。
其の外にも、歴史の町は多い、小京都と歌う町もある。
城下町は、殆ど戦国・江戸時代を探す。
扨、知多半島の歴史で言えば、焼き物はどの町でも手をあげる。
常滑は、武士より、焼き物を語る。
有松から大高まで(知多郡である)は、桶狭間を解く。
東浦町は、戦国時代を多く語る。
町々で、多くを語るが、当然、特徴がある。
江戸後期の醸造業は、知多半島の特徴であるが、常滑にも、
半田にもあるし、その他地区もある。
お互いに、特徴と違い、逆に共通点を言い合うべきだ。
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半田の歴史を観光に来る場合、尤も見たいのは、先に述べた、
「知多半島の中心の消費地(つまり町)」だ。
その中心「郡役所」が、殆ど見向きされてない。
(何も無い、それらしき処は幼児公園で、東側の道が広いだけ。
何とか想像出来るだけ)
(「郡」と云う言葉は、殆ど意味が無い。
 「知多郡東浦町」があるが、「東浦市」でも、ほとんど、
 意味は同じである。つまり、陳情するにも「愛知県」か「東京政府」で、
 知多郡庁は無い。)
 「郡役所」に誰が居たか語るのを余り聞かないが、半田市史はこれが、
尤も重要と思う。小栗三郎が居たともあるが、何をやって居たか解らん。
中央からだれが来たか、半田からだれがどうしたか。
これから調べる事が多い。
「知多郡農具図」が、県庁資料として有るらしい。
それ以外何も出てこない。
これは、知多郡だけでなく、全国的かもしれない。
どこかの「郡役所」が明治村に在るらしい。
その他も、充分調べられていない様だ。
(対比として江戸時代の「代官所」がある。
江戸時代は長いので、それなりの資料はある。
「陣屋」も残るが、
こちらは、大名で無い万石以下の旗本御家人の屋敷だ。)
明治は、一応三権分立だから、「郡役所」は行政だけの担当となる。
何をしていたのか、どうして不人気なのかその辺も今後、調べたい。
「赤レンガ建物」「新美南吉」も勿論「半田運河」も、
そういう時代の土台から生まれてきたと考えたい。
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蛇足だが、「半田」の命名が解らない。「はんだ」は「坂田」から来たと
云う説は、聞いた。これはそのまま受け付けるのは難しい。
意味通り推測すれば、「田んぼが、半分・・」誰かと誰かが田を分けたとなる。
「たわけ(田分け)」か、そんな解釈は嫌だから忘れた・・。
全国に「半田」はあるのか探した。
徳島県美馬郡半田町と福島県伊達郡半田村が出てきた。
そんな所の謂われまで調べれない。疑問だけ持ち続けよう。
そう言えば電気で使う「半田」の謂われも不明だ。
「解らん・・解らん」で、文を閉める事に、気がひけるが、
事実で、これが私の現レベルだから仕方ない。

-----資料---------------
半田年表
 1543 天文十二 水野忠政築城(岩滑、飯森、亀崎、有脇)
 1608 慶長13 伊奈検知
 1611 慶長16 成瀬氏給地(亀崎、乙川、成岩)
 1671 寛文11 廻船37(半田村35・・)
 1695 元禄8  山方新田
 1708 宝永5  同 決壊
 1787 天明7  飢饉
 1802 享和2  伊能忠敬が亀崎
 1811 文化8  中埜酢工場
 1826 文政9  成瀬氏給地
 1871 明治4  額田県ニ
 1872 明治5  愛知県七大区 区議会
 1878 明治11 知多郡役所
 1882 明治15 小栗三郎 郡長
 1889 明治22 村から半田町へ
 1890 明治23 陸海軍大演習
 1908 明治41 葉住座で演説会
 1926 大正15 郡役所廃止
 1932 昭和7  権狐が赤い鳥に
 1937 昭和12 半田市
 1986 昭和61 皇太子ご夫妻来訪
-------人-------------------------- 
新美南吉(1913(大正2)年7月30日 - 1943(昭和18)年3月22日)
本名は新美正八(旧姓:渡辺)。
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小栗三郎(天保6.9.22(1835.11.12)-明治43.6.22 (1910)
幕末明治期の肥料商。小栗三郎兵衛第10代
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郡役所文書 ・知多郡役所で作成された「知多郡農具図」。
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郡役所は、明治11年に設置され、大正15年に廃止されました。
郡制(ぐんせい、明治23年法律第36号)とは
明治期から大正期にかけて府県と町村との間に位置する郡を
地方自治体として定めた日本の法律である。
1890年(明治23年)5月17日に公布。
江戸時代までの郡は明治初年の大区小区制のもとでは
無視され住民の反発が大きかったことから
1878年(明治11年)7月22日に郡区町村編制法を制定し、
旧来の郡を行政単位として認め郡役所と郡長(官選)が置かれた。
郡には議決機関として郡会と郡参事会が設けられ郡会議員は
3分の2が各町村議会の互選、残りの3分の1が
所有している土地の地価が1万円以上の大地主の互選とされ
郡参事会は郡長と府県知事が任命する郡参事会員(名誉職)により構成。
郡には課税権がなくまた内務大臣・府県知事の監督下にあり、
郡長は国・府県の出先機関として町村の戸長を通じて
中央の行政命令を下達する機関に過ぎなかった。
郡の分置廃合への反対が強かったため、
全府県に郡制が施行されたのは1899年(明治32年)3月16日に
郡制が改正さ。
日露戦争の後頃から郡制廃止の問題が起こり
1921年(大正10年)4月12日に原敬内閣は郡制廃止を実施し
郡会は1923年(大正12年)に、
郡役所と郡長は1926年(大正15年)に廃止となった。
以後郡は単なる地理的名称として残ることとなった。
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1876年(明治9年) - 半田村と岩滑村が合併し、半田村となる。
1889年(明治22年)10月1日 - 町制施行し、半田町となる。
1937年(昭和12年)10月1日 - 半田町、亀崎町、成岩町が合併し半田市。
------他の半田町--------------
半田町:徳島県美馬郡半田町
静岡県 浜松市 半田町
-----他の半田-----
阿波半田駅 - 徳島県美馬郡つるぎ町にある四国旅客鉄道徳島線の駅
半田 (津市) - 三重県津市の地名
半田村 - 福島県伊達郡半田村(現桑折町)
茨城県石岡市,群馬県渋川市,埼玉県三郷市,新潟県柏崎市
京都府福知山市,大阪府貝塚市,大阪府大阪狭山市,佐賀県唐津市
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