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-----no.6059------2012、02月12日(日、朝)
碧南の講習を受けてきた。
資料はまだ、未読だ。
面白そうな内容で在る。
今は頁のアップだけに留める。
もう少し後で、追加する頁だ。
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今、もう夕方だが、追加する。
午後2時からだったが、12時前には、着いて居た。
で、散歩。先ず、隣りのふれあいセンターに入る。
此処始めて。
パソコン講習が始まる前だった。
集まって来て始まった。初歩のインターネット接続から。
パンフ類を見るが、「人物」が有った。
10数分居たか。
寺巡りを始める。
と言っても向かいに、
常行院と隣りの林泉寺だけだが。
寺自身は対して見るものも無いが、
西の海岸沿いに以前は全て寺地だった様に思う。
道路沿いに寺が並び、海岸線が墓、其の向こうに日の沈む海。
そう考えると、実に美しい日本が出てくる。
寺町としてピッタリ。大阪の寺町と似ている。
同じ夕焼けだろう。
どちらも、昔、慶長の頃を偲ぶだけだ。
風は冷たい東へ廻り、美術館に戻る。
まだ、早すぎる。
地階へ入る、此処始めて。
お越しものの木型展と、
棚尾の展示が少し。
棚尾の名は良く聞いて居た。
その区域を改めて、認識する。
上に上がる。此処が一階か。この土地、南北の丘状だ。東西は坂になる。
岬に寺と、後から湊が出来たのだろう。
扨、講習である。
福祉大の先生の外、時々会うメンバーが要る、古文書の会。
未予約の人も、数人聴講可能の模様。
此処から本題、題として「幕末・・」とあるが、前置きとして古代からの説明もある。
本題の「幕末・・」薄れるが、時間が短いし、一般向けだから仕方ない。
軽く触れると、・・@平安時代は、幡豆郡で、A十一世紀神社があり、 B十四、十五、十六世紀に寺が増える。C江戸時代は新田もでき、 領主としては、幕府、西尾藩、幕府、西尾藩、と繰り返し、沼津藩領で明治に入る。
大浜村は大きい寛永期で2330石、天保期で2856石、知多半島ではほぼ100石程度が村だが・・
1/3が田、2/3が畑。
本題である。「幕末大浜村の海運と産業」。これがぼやける、資料は四点。
此れを読もうと思うが、行動が伴わない。
資料A:訴訟「舟の後金支払い」
碧海郡鶴ケ崎村栄吉を常滑村弥之右衛門が訴える。
資料B:「積荷密売」
大浜之内岡本八治郎が、安濃郡黒部村長次郎を訴える。
資料C:「木職」
大浜村役人へ
資料D:「倹約取極箇条書」
火の元・・・
資料Aの段階で、時間が少なくなり。。。と云う状態でおわる。質問では、地図が大正時でおかしいとか・・。
資料も「お越し」で、ひたしみが無い。資料だけで、もう一度、改めて聞きたい。そんな内容。 これは、福祉大で、講義を申し込めと云う事か、6000円コースか、25千円コースか。 大学も商売である。去年の6000円コースは、あっと言う間に終わる。余談だが、啓蒙講義だけでも、 安くて、面白いかも。町の1000円コースでもいいかも。
そもそも、90分で何がわかる。90分の後、2時間位話し合いをしたい、それが無い。
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で、幕末だが・・
農と商である。農民は、相当上昇意識があり、儲け様と考えて、色々やる。そんな感じ。 半田を横目に見て、「農」は儲からないと思い出して要る・・そう感じる。
・・只、モット資料を読まなくてはいかんが・・

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