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-----no.6080------2012、02月13日(日、午後)
軽く出かける。
まだ寒いが。
11時前、乾坤院辺を過ぎ、
11時二十分に安城歴史館に着く。
前日の講習が、
碧南と重なり武士より、
農民を取り碧南へ行ったので、
その資料でも有れば・・と出かけた。
2時から「解説」が在ると聞き、
ぶらぶらする事にする。
パンフも貰った。
60分コースと 90分コースが有るらしいが、デタラメで近い所狙って歩く。
以前、車で通った所で、 歩きたいと思った所が有った。
土手を登る。
安城城址の寺で、法事中、
浄土宗、法然555年とか。それより、三つ葉葵の幕が黄色が気になった。 マイクで説教が聞こえる。
戸の中は20人も居るだろう。
靴と車で想像する。
交差点から東へ向かう。南は田んぼ。つまり、戦国時代は海と思える。
ここ辺が標高差2−3メートル北が高い。
歩いて分かるが、旧村の面影がある。
市場神がある。説明は「・・・平安時代・・」とある。古すぎる。
「本多忠豊墓碑」天文14(1545)の話。松平広忠の時代、織田信秀が攻めた。
中川覚右衛門墓碑」庄屋、年貢減免の願いで、血書自決。
七ツ井」家康がうまいから筒に入れたとか。それより、海に近い井戸と言うこと。
車では通れ無い道が歩ける。小学校の「梅井」から帰る。
寒かった。まだ1時間しか歩いていない。がもういい。「発掘」館で、休憩。資料を読む。 今、安城は大きな平野だが、平安、鎌倉時代は、悪水で、稲向きでは無かったと思う。
30分前ながら、本館へ
一番目当ては、信長の胴服だ。多分、自身着ていたと思う。だって、信長の臭いがした。 重文だ。七ツ紋だが、裏が見えない。
(図録を購入したから、後でゆっくり)
半分程みてたら、解説が始まる。アット言う間で終わる。面白いから。
本題の「藤井松平」も大体分かる。江戸時代と、織豊時代と、幕末と。 知りたい事、又増えた。
取り敢えずの疑問は、信長から胴服を貰った「信一」だろう。人物が知りたい。 江戸時代は家康家臣である。・・信長時代でもそうか。
戊辰戦争は、官軍側と云うのも、調べたい。
後、老中なんかやっている家も当主も知りたい。

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