haruharu Page

-----no.6094------2012、02月14日(火、午後)
午前は勉強。
水野氏家来。
水野信元が知りたい。
が余り出てこない。
家系はたいして重きを置かない。
が、画像がないから、取り敢えず右図。
手書きである。
要するに、大手出版の本ではない。
それは、関係無い。
むしろ、地元の郷土史家の本を有難いと思う。

取り敢えず、家紋を調べた。以下だ。
---------九枚笹-----------
竹は百年に一度、花を咲かせると、枯れてゆくという。
じつに不思議な植物だ。
また松・竹・梅とめでたいものの代表におかれている。
竹は根強く、繁殖力も強く、風雪寒暖にも強い。
その強さが好まれて、家紋として採用されたようだ。
竹の字を苗字にもつ美濃の竹中氏が「九牧笹」、
仙台の伊達氏が「竹に雀」という変わった紋を使用している。 (九枚笹)
------------揚羽蝶----------------------
抽象的で幾何的要素の多い家紋の中にあって、
具象的で優雅な意匠であることから、女性にとても人気のある家紋です。
正倉院御物にみられる古い紋様で、様々な意匠が見受けられます。
武門に似つかわしくない家紋と思われがちですが、
実は平氏一門に愛用された紋として有名です。
平家物語にも登場する平維盛が、牛車に蝶丸紋蝶を用いたことは有名で、
平氏の流れを汲む一族が蝶紋を伝承したとされています。
源氏一族が様々な紋を使っていることに対して、
平氏の代表紋は揚羽蝶とされています。
貴族的で雅なのは平家物語にふさわしいですね。
ちなみに揚羽という意味は、羽を直立させて休んでいる姿をいいます。
-----------目結紋--------------------
古代は布を染めるのに、
ロウケチ、コウケチ、キョウケチの3種類があった。
そのなかのコウケチが目結染といわれる。
江戸時代には鹿子染ともいわれた。
布を糸で括って染料に浸すと、括った目のところだけが白く染め残る。
目結とは、この白く染め残った斑模様をさす。
一つ目結から十六目結まである。
この「目結紋」は佐々木一族のシンボルとして、多くの佐々木氏族がしようしている。
(隅立て四つ目結)
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それらしき家系図であるし、家系図もそれらしい。が、疑問である。
というより、殆ど信じない。
俺の立場で言うと、
江戸時代に武士が、俸禄を維持する為の、理論だけ。
江戸時代の、武士は名目「非生産者」だ。
家康が、家光を第三代将軍に決めた時から、「血」が家を継ぐと。
先祖が、どれだけ現体制=徳川幕府に貢献したか、
そして、明治で変わった。
では、始まりだが、
家康の前だが・・・
水野信元が、境目だと考えている。
この辺で、戦国時代から、統一に変化する。
(但、中央=近畿、東海辺だけだ、東北、九州辺は、遅れる)
水野をどのように定義するか、
東北の伊達、九州の島津、四国の長宗我部、中国の毛利、
これら、統一の過程で、それぞれの行動をとる。それらと比較したい。
家系で余り見ない。忠政、信元、信重、個人を見たい。
小説家が、これの一人を書いて欲しい。
俺は書けない。

話は広がる。勉強も広がる。
知多半島は何かが、聞いていると面白い。昭和から、明治へ戻る、それから江戸時代へも。
江戸時代は変化がゆるいから分かり安い、明治は早く動く。
同様に、信元の時代も、価値観が早く動く時期で、だから、解らない。けど面白い。

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此の作者は、急ぎ過ぎた様だ。だが、これをたたき台に、信元の時代を再検討しても良い。
又、江戸時代の、200俵辺の家系は、相当調べれるとも思う。江戸250年間を。
但、この時代の家系は個人的に余り気にしない。
「時代」を考えるか「個人」かは気になるが。

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