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-----no.6105------2012、02月16日(木、御前)
司馬の考えの第7巻。
面白い。
彼が小説家かと云う議論がある。
山口瞳氏の推薦文が巻末にある。
それをそのままコピーし右下の方に、転記した。
俺と近い意見。嬉しいから載せた。
此処では、小説家は患者らしい。
司馬の文を読むと、「医者」の意見では無い。
昭和20年を境に、「国家」を考えて、又考えている。
亡くなるまで、考えて、・・
考える材料として、明治維新がある。
幕末がある。
織豊期がある。
日露戦争がある。
其処に、人が出てくる。
竜馬、光秀、好古、子規、・・・
時代の中心人物より、その廻りで動いた人が好きらしい。
信長より、光秀。
秀吉より、黒田勘兵衛
家康より、その家臣。
海舟より、竜馬。
繰り返すと「医者の意見では無い」。
若し医者としても、「患者」を助けれない・・
そこで苦闘する医者だ。
そこで、病人は誰だと言うと、「国家」である。
余りにも思い国家は、昭和19年ごろ。
当時、昭和47年頃は余りにも軽い国家。

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此処から私的な感想である。
現在の国家は何か。
税金の督促が時々来る。此れは国家だが、
その半分は、町である。
重い国家より、矢面は「町」である。
自動車を運転していても、あまり「国家」を感じない。
国家を感じるのは、国政選挙だろうが、
その議員は「地区代表」の発言が多いと感じる。
こんな軽い国家は、議員もそういらない。
町長選挙の方が重い。
国家が何も出来ないと証明したのが、3.11以降だ。
県連合ぐらいのほうが、機能しそうだ。
福島県は、何県と何県が担当。。。とか。
大阪市が動いている。
名古屋も、それなりに「国はダメ」と言い出した。
名古屋と言えば、名古屋城は、家康の天下普請だ。
徳川家、松平家の為、毛利家、島津家・・を使った。 ただし、独立はしていた。
今、国家を考える時か・・・-----------
実に、軽い気分で此れを書いた。

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