haruharu Page

-----no.6192------2012、02月21日(火、夜)
取り敢えず、少し触って見た。
まだ、そんな感じの段階だ。
兎に角、記録として頁を作成する。
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『歎異抄』は、
鎌倉時代後期に書かれた日本の仏教書である。
作者は、親鸞に師事した唯円とされる。
書名は、その内容が親鸞滅後に浄土真宗の教団内に
湧き上がった異義異端を嘆いたものである。
『歎異鈔』とも。
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-------善鸞事件----------
建長8年(1256年)5月、
親鸞が実子である善鸞を
勘当・破門した事件である。

明治時代になり、清澤満之らによって再評価
-------構成--------
1.真名序
2.第一条から第十条まで - 親鸞の言葉
3.別序 - 第十一条以降の序文
4.第十一条から第十八条まで - 唯円の異義批判
5.後序
6.流罪にまつわる記録

----------第一条
 一 弥陀の誓願不思議にたすけられまゐらせて、
往生をばとぐるなりと信じて念仏申さんとおもひたつこころのおこるとき、
すなわち摂取不捨の利益にあづけしめたまふなり。
弥陀の本願には、老少・善悪のひとをえらばれず、ただ信心を要とすとしるべし。
そのゆゑは、罪悪深重・煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にまします。
しかれば本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、
念仏にまさるべき善なきがゆゑに。
悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきゆゑにと云々。

-------------その1
 阿弥陀さまの想像もつかないような誓いによって、
お浄土に往生させてもらえると疑うことなく信じて、
ありがたくってお念仏せずにはいられなくなったときには、
もう阿弥陀さまによるお救いが確実なものになっているわけ。
で、その阿弥陀さまの誓い、つまり阿弥陀さまが真に願われたことは、
「年齢だとか善悪だとかはいっさい関係なく、すべての人を救うぞ」ってこと。
私たちは、信じるだけ。
だって、修行をしても続かない、
しようとも思わない、覚るってなに、そんなことより金だ、飯だ、酒だーって
なぐあいの私たちこそ救ってやろう、っていうのが阿弥陀さまの願いなの。
だから、中途半端になっちゃうような修行なんか目じゃない。
「なむあみだぶつ」のお念仏がイチバン!
修行しないとダメなんじゃないかと思うかも知れないけど、
阿弥陀さまのお力を信じないほど悪いことはないんだからね。
と、親鸞さまはおっしゃいました。

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