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-----no.6203------2012、02月22日(水、朝)
寒い中、フラフラ出かけた。
以下だ。
---------d20120221無我苑.mem-------
施設名:哲学たいけん村 無我苑
住所:碧南市坂口町3-100
開苑時間:午前9時から午後9時(月曜休苑)
TEL:0566-41-8522
http://www.city.hekinan.aichi.jp/
MUGAEN/index.htm

西畑藩というのが、
幕末に出来た。
それが何処か探すためだ。

応仁寺は数度行っている。
花の頃も行った。
花のむこうに淵が有り、
道路の反対側が寺だが、
寺の右辺に陣屋が有ったと後で分かって、
帰りがけ、再度廻ったが、
車が通れる様な道は無かった。
如光について、始めて認識する。
佐々木氏、如全、この辺、何も知らない。
今後の課題である。
応永二十四年を調べると、1417年である。
応永の乱(おうえいのらん)が、ある。
室町時代の応永6年(1399年)に、
守護大名の大内義弘が室町幕府に対して反乱を起こして
堺に篭城して滅ぼされた事件である。
ーーーー
如光については
 如光は蓮如と同時代を生きた佐々木上宮寺の住持です。
上宮寺というのは現在の愛知県安城市にある古刹で、
三河の国における浄土真宗本願寺派三ヶ寺の一つです。
とは言っても如光が生まれた当時、
上宮寺は本願寺派ではなく、
高田専修寺派の寺でした。
 如光の生誕について、
一つの説話が遺されています。
三河湾に注ぐ矢作川河口に西端という土地があります。
そこに浮き藻に乗った少年が流されてきました。
この少年を杉浦某という侍が拾い、上宮寺に預けました。
上宮寺の住持は少年に如光という名を与え、
少年は上宮寺の僧として成長します。
後に如光はその才を認められ、
上宮寺の住持の娘を娶って住持を継ぎました。
詳しくは以下で。
http://papathana.la.coocan.jp/kawasen/part02/post_14.html


無我園をぐるり一回りする。
この辺、丘の上だと実感。
お茶を頂き(250円、安い)、
備え付けの「蓮如通信」を読む。
この集落だけの物で、既に絶版らしい。
【資料詳細】
書名 : れんにょ通信
著者名 : 西端を考える会/編者
出版年 : 2007.5
ページ数等 : 44p
大きさ : 26×21
一般注記 : 創刊号?第11号までの合冊
http://www.library.city.hekinan.aichi.jp/
mobile/index.htm

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