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-----no.6277------2012、02月29日(水、朝)
雨の朝。
東京は雪らしい。

閏日だ。この日に生まれると年を取らないという。
だが、25回位の誕生日祝いしか出来ない。
第十巻目。
此の本、後半部分、司馬は、中国を語る。
否、東洋を語る。
否、ユーラシアを語る」と言うべきだろう。
「国家」が出来る過程をみる。
「遊牧」文明は、国家の意識が無い。
中原の農業民族は、国家として、国境を定めたがる。
「坂の上の雲」を読む人は、国家「国民」を考える。
その前に「国家」とはを考えないと・・
「遊牧」文明は、憧れの文明といえる。
スキタイは紀元前5,6世紀か、
ギリシャ、ひょっとするとスペインあたりから、
中国、朝鮮、そのおこぼれが、騎馬民族として日本まで。
「遊牧」文明を見直したい。

序に云う。
共同体と言うこと。
(昔、「共同体幻想論」とかいう本が有った)
「社会」と言っても良い。
「国家」がまず浮かぶ。
次に「町」だ。
それ以外にも、「サークル」も含む。(ガイド協会も)
まだ、大きいものがある。「会社」だ。
これが、「遊牧」文明に近く感じる。
会社も大きくなってくると、海外に支店、工場を作る。
2つの文化が当然ぶつかる。
この本の後半を読んでいて。
それを、常に感じていた。
単なる「文化」レベルだと、問題無い。
例えば、「ゲル」(テント状住宅)なら経験しても、楽しめる。
それは、帰れば、木と紙の「家」が、有るから。

が、「文明」レベルかどうかが、気になる。
「遊牧」と、「農業」との違いなら、相当のストレスだろう。

本の内容から、大分反れた。

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