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-----no.6284------2012、02月29日(水、夜)
2月28日は昨日。
早過ぎたか。
旗の掲揚中。
一応、民具見た。
子供達も早かった。
俺、説明???。
3グループで実施。
つまり、@石臼A綿繰B民具だ。
それも、初めてから知る。
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先ず、石臼だ。俺、終に触らなかった。
「何時、使ったの??」と云う質問が有った。
終りの時期はわかる、「電気が灯る迄」と答えた。 「何時から」が、能く解らない。
で、「かぐや姫」の時は、まだ無かったと答えた。
不安で今調べた。以下が出てきた--------
上臼と下臼が対をなし上臼が回転して磨(す)りつぶす挽臼(ひきうす)は、
古代オリエントのロータリーカーンや中国漢代の石磨(せきま)を起源として、
日本には奈良時代に伝わり、室町時代から江戸時代にかけて普及し、
五穀を粉にする農民の必需品であった。
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嘘を言った事になるかどうか?
俺の頭には、猿が木の実を石で割る姿が浮かんで居た。
材料が「石」と云う事は、「石器時代」からと答えるべきか。
五十年前を、石器時代とすれば、それも正解。
只、「臼」は、月の世界のうさぎには有った。
そう言えば今思い出した。
信長が安土城を作るとき、石臼も石垣につかつたと、
どこかで読んだ。是は本当だろう。
「室町時代」が、妥当な答えの様な気がする。
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此の臼は、此処では、「大豆」から「きなこ」を作る。
米麦にも使用したか。その実験はしてないから、解らない。
「きなこ」だけで、使用するには、頻度が少な過ぎる気がする。
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綿花に付いて。
これは、ある程度わかる。
つまり、信長の頃、綿が普及する。
弱い「尾張兵」が、強く見えたのは、
綿を着ていたからだとも言える。「鉄砲」より、綿布の方が効果的に思う。
「村木砦」に鉄砲は幾つ有ったか疑問??だが、綿を着ていたと思う。
これは、どこにも書いてない。俺の空想であるが、信じている。
江戸初期に、大阪、河内辺が大生産地と成り、肥料でイワシ等使い、全国に広がる。
ここからは、経験の話になるが、綿を「糸」にするのは、ある程度「根気」が居るようだ。 やる気の有る人は、この場で1−2メートルを作った。ただ、それは、「強い」感じは全くしない。 直ぐ切れる。それに、糸を相当つくらないと、織るーー面には出来ない。
話はそれるが、動物の皮は、「面」の状態で、取得できる。
「遊牧」民族は、是を着る。農業民族を軽蔑する。子供たちを見ていると、
「糸」の制作を、 面白いと思う人もいれば、全く「のれない」子もいる。
今、時代が不安定だが、日本人は、血としては、農業民族だと思う。
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扨、民具だが、
色々あるが、「小学生」には、「機織り」と「米」が、学習の目的の様だ。 (学習帳を、じっくり見てないが)。
「米」に関しては、色々考えて、少しずつ改良されて行くのがある。
特に系統だっているわけでない。が、この程度で良い。
これも、個人的な見解だが、「備中鍬」に興味がある、江戸中期の鍬で、四本の刃があるのが普通だ。 常滑・大野で、作り方を読んだ事がある。名前から、岡山で発明されたものである。 此処のを見ると、刃は3本である。これが、珍しいと思った。
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結論を言うと、教えると云う事は俺には、似合はない。疑問を出して、考えさせたいだけだ。

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