haruharu Page

-----no.6461----
--2012、03月13日(火、夕)
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此の頁も個人的内容。
又、会いに行ってしまった。
「どうしてそんなにかわいい・・」
そんな演歌があったっけ。
「おじいちゃん」とハッキリ言う前だが・・
出かけにゴタゴタしてしまった。
結局着いたのは十二時前になった。
弁当食べて、
少し休んで・・
初めは、母親に「くっつき虫」だったが、
俺が食べさせる事で、それから友達。

カメラのシャッターももう一人前と思っていたら、
携帯のスマートホンは、俺より先に行っている。
・・・と言うより、
年寄りの「友達」に自慢しているのかもしれない。
そういう見方が出来る。
「本」も、同様に考えられる。
つまり、「読んで!」で無く、
「友よ、見せてやる」位の意識かもネ。
言語自体より、
『「いとまきまき、いとまきまき」知っているか、
知らないなら教えてやる』なのかもしれない。
こっちだって「其のくらい、知ってるぜ『いとまきまき、いとまきまき』」
ここで、言葉でない「友情」が育ったのだろう。
「言葉」で、意思を伝え合うようになれば、
此の友情は忘れられて行くような気がする。

お散歩も、ほぼ同格である。
「何処へ行って遊ぼう」は、半分俺が先導し、後半分は、連れて行かれる感じ。
同格で無いのがある、「風の子」と「暖の大人」だ。
風は相当強い。飛ばされそう、「早く帰ろうよ」と言っても、
「もう少し遊ぼ」だって!
興味は、「まっぼっくり」みたいな大きなものより、
松葉1個が関心ある様だ。
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この散歩、写真は百枚程度と言う時代は昔の話。
今は動画だ。
仍って、次頁は其にしたい、乞う御期待!!1
--------追伸---------------
此処で断って置く。
俺は単なる爺馬鹿では無い。
と思っている。 大人でも、「少年の心」をもった大人である。と
大人でも、少年の心をなくしたおとなが、上記を読むと、「単なる爺馬鹿」だという。
そういう大人に、再度「少年の心」を取り戻してほしいという願いを込めて書いている。

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