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-----no.6577------2012、03月22日(木、18時)
一応此処まで

-----------平成13年8月 (於大) --------
緒川城跡、伝通院画像(がんごう寺)、水野氏系図「乾坤院蔵」
水野忠政坐像、岡崎城、鳳来寺、家康産着の鎧、大泉寺(岡崎)、
椎のき屋敷、天目茶碗、香炉、茶碗、坂部城跡、於大の墓、血書阿弥陀経、
重箱、香合、手洗桶、金襴の袈裟、三尊来迎仏、柄香炉、善道大師真影立像図、
文政五年由緒書、夜着、水野分長寄進状写、於大の墓(伝通院、東京)

-----------平成19年4月 (鳥瞰図) --------
是は資料館が「服部徳次郎氏」ヨリ寄贈の所有があると言うこと。
東浦と特に関係無い

-----------平成16年4月 (かわら版) --------
表紙に提灯「石浜村」「成海新田」
「塩つくり、酒つくり、砂糖つくり・・産業」とあるが、砂糖つくりはそこまで行ってない気がする。
一、慶長検地帳、
「慶長11年清須城主松平忠吉」、翌年「徳川義直が藩主」
「緒川村慶長検地帳」慶長十三年「九之帳」寛永十三年(1636)最古写。
一、明徳寺川の水
一、新田開発一千町歩、
石浜村成実新田絵図、重田、舟着場、弁天社、
一、さまざまな生業。
塩」
知多郡生路村塩浜検地帳、製塩の図「原田喜左衛門、内藤東甫画、松平君山賛」
砂糖」
酒」緒川村酒屋造米高帳」元禄十年
一、くらし、
掟」(博奕締り方)(戸田)
講」庚申講、金比羅講のぼり、
題「かわら版」は、全く無い。

-----------平成14年11月 (絵馬) --------
市松模様で涼し気な表紙。
絵馬の起源としては、「馬」自体を納める替りだ。
武者図「文久元年」稲荷神社、四十二厄年
芝居図「文久三年」安宅の関
馬図「東光寺」坂井村??
小型絵馬「東光寺」十二支
参拝絵馬「那智山青岸渡寺」明治二十四年
    「紀三井山金剛宝寺」明治十一年
    石山寺」天保十四
    成相寺」 。
  その他多数、
記念碑的である、写真の無い時代の写真様だ。
石と絵馬を比較すれば・・・??
大正七年まで見える。
戦争絵馬」戦争も旅行並みの感覚??
いずれにしても、記念で「何かを残そう」考えた様な気がする。
奉納額「芝居」「相撲」
芝居の演目「天下知桔梗旗揚」「壇ノ浦兜軍記」「蘆屋道満大内鏡」
最後が想像できない。

-----------平成13年四月 (塩) --------
「延喜式」「生路塩」関係である。「式」は法令らしい。
「生道塩一石六斗 与調塩、共進」
「享保版本『延喜式』」半田図書館で、詳しくは調べるべし。
巻二十四(主計上)、巻三十三(大膳下)
伊久智神社、、貝塚、土器製塩、(製塩は知多半島どこでもある)
平城京で木簡出土、(これは奈良県でみたい)

-----------平成14年四月 (写真) --------
一枚四頁もの。
同じ場所を新旧で比較する。
林屋旅館が解らない。平成十四年ではもう昔だ。平成二十四年の現代版を追加したい。
電信柱やコカ・コーラ自販機で分かるか??
渡船場もある、五人乗船。
織り布工場は煙突が煙を吐く。
まだ、数枚ある。が、まだまだ其以上見たい。

-----------平成17年11月 (衣が浦) --------
表紙に写真が使用されている。これが少し不明。 「第壱号各図??」と読んだが「明治20、水産物取り調べ書」。
渚の写真は創造するに、この辺だろう。
「ジャンク」か?の写真もある。一枚帆で6,7艘見える、幟も見えるが、読めない。
こちら岸は、日本的である。不明だ?
シラウオ」の写真がある。水族館提供らしい。
漁法は、「打瀬網漁」「延縄」「刺し網」「ウナギ」「貝」 「アサリマンガ」は「当館所蔵」とあるから、ここでもとれたのか。
塩田」の写真もあるが、残念ながら碧南提供。
----「渡」--
船と橋は、時代だが、交通量などは解らない。 今、衣浦大橋などで、どの程度渋滞するのか。そこらあたり、個人的な感想でその内うやむやになる。 例えば「通勤に渡る時、壱時間掛かった・・」と言う感想。
昭和31年2月有料200円、昭和43年4月無料に。
「海水浴」「伊勢湾台風」「埋め立て」もある
「東浦」と言う点では、狭い。

個人的ながら、意見を述べる。未完成でまだ増殖させる。

-----------平成18年4月 (東浦誕生100周年記念) --------
-----「明治39年人口9000人程が現在48700人」と書いてある。
そうすると平成24年の今はその後、あまり伸びないといえないか?
----「役場位置」、名前「東浦」。。此処等辺の話を読んでいると、
庄屋クラスの駆け引きだと思う、庶民的には、大した問題だったのだろうか??
------産業として、専業農家890に対して、専業水産業が36で結構多いと思う。
--------あゆみとして
---昭和2年緒川亀崎の乗合バスが営業開始らしい。亀崎は「湊の事か??」
--昭和57年、東が丘団地、
昭和62年西部中学、
平成6於大祭り、
平成12年東海豪雨
昭和25年頃葡萄栽培、
まあ以上

-----------平成22年4月 (尾張藩) --------
「境川沿岸図」--1775年藩主は九代宗睦
「大納言様御巡覧記録」---1843年十二代斉荘(なりたか)(久松家)
その他、古文書多数。
「名区小景」江月楼
「小袖」義直より拝領、沢田家
光友短冊」沢田家、
鳥御法度御書付写」館蔵
先触、御鷹場見回り方」館蔵
御酒壺」小島家
屋敷図」小島家
矢二筋」神社蔵
黒印状」善導寺
位牌」於大、寺社御触状写、
塩田の図」
覚」内藤東甫、
張州雑志」、横井也有、
知多土産」小田切春江、
家康産着の鎧」入海神社、
裃」水野氏、伝宗院、
棟札」伝宗院

-----------平成15年9月 (地図東西) --------
表紙に、
---「愛知県知多郡東浦村全図」がある。大正9で、まともな地図である。
是以降がまとも化?
---見開きに「昭和47年頃、森岡・緒川地域図」
広告付きで、当時の産業や観光を見ようとすれば、興味が沸く。
個人的な感想だが、東海道中心で時代が動いていて、町が中心を北にシフトしはじめている。 今森岡辺に、「健康の森」など、発展を続けている。
---「東浦町全図」昭和25年、役場は、竹塚にある。調べる。駅の近くの様だ。
--「東浦町全図」昭和35年、上の図と比較すると、旧郷を色分けしない。此処から 町民という意識が浸透したと考えよう。
--「東浦町都市計画図」昭和47年、東が丘もある、現状と比較すると面白い筈。 名鉄河和線、知多自動車道は当然あるが、赤字で「名古屋半田線」がある、 是、今作っているのだろう、まだ進行中だ。時間の懸るものだ。
---観光地図が続く。鳥瞰図だ。これらは、知多半島の観光と言う視点になる。 東浦として「観光」の意識が無い。今でも、半田に比べ無い。これからか?? わが「ガイド会」が牽引車となろう。
もうひとつ感想は、江戸明治の地図も、、、と感じた。

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