haruharu Page

-----no.6594------2012、03月25日(日、10時)
メールを受信していて、
それによると威勢能く「実施」と有ったが、
車で集合場所公民館へ向かう時、雨が「ぱらぱら」
着くと「大降り」、皆さん「屋根の下」に集まる。
「やる」と言ったからにはやるが、
集まりは「ガイド」ばかり。
杞憂だった。
少し集まり、その都度出発。だから、全体がつかめない。
が、予定同リ、集まったようだ。
雨だから、川の水量が気に成る。

今回で、特徴は、二件、「持ち主」の説明が聞けた事である。
「御岳」と「大樹寺門」である。
こうして、巻き込むのは、良い事と思う。
説明が真実味を帯びる、そしてあちらサイドも利益を感じさせたい。
「御岳」の信者が即、急増することは無いと思うが、
知名度が上がり、 クチコミでも増えれば良いだろう。
少し個人の独断的意見を言う。
「信者」と行ってしまったが、
明治の新興宗教は「宗教」のみと考えていない。
多分に、娯楽(旅行)的部分が 有ると思う。
さらに言うと、ガイドボランチアと同じ様なものでは無いか。??
-------------
説明に、英語でも日本語でもない文字が見えたので、撮した。
---------
最大の目玉はやはり「門」と決めていた。
認定書で無く「指定書」というらしい。
文書を写すと、
『 建第二号
  指定書
 大樹寺伽藍 附一棟
  旧裏一の門、高麗門屋根切妻造
          本瓦葺
 右を愛知県文化財保護条例(昭和三十年度愛知県
 条例第六号)第四条の規定により愛知県
 指定有形文化財に指定します
  昭和四十三年四月二十四日
    愛知県教育委員会 』
 最初に「割印」がある。
以上だが、
「旧裏一の門」と旧があるから、これで、移動後の指定だろう。
問題は「裏一の門」で、裏門はひとつで無いだろうと推定する。
どこかから絵図面でも見せて欲しい。

ただ、相当傷んでいる。
移築方法を聞くと、
「これこそ、専門家」と主人の答え。
つまり「分解しない」事だろう。
分解したら、組立時、部分が合わないかもと思う。
今後、ずーつと此処にあるだろう。
分解したら、相当の部分が「新材」に変化して、ちぐはぐになりそうである。
補強の部分も歴史があると思う。

ただ、残念な事に県の頁に依ると、
http://www.pref.aichi.jp/kyoiku/bunka/bunkazainavi/syubetsu/kenzoubutsu.html
岡崎に有るような書き方だった
大樹寺伽藍,大方丈、総門、三門、旧裏一の門・裏二の門、鐘楼、 6棟 , 大樹寺 江戸 昭和30年 岡崎市 県

被ガイド者は数人しか咄できなかったが、地元の人の様で、相当詳しく、
また「懐かしさ」を求めての参加とも見えた。
このコース数回、回ったが、とても及ばないと思う。
終り帰りだすと、雨が止むだ。

2012年03月へ