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-----no.7245-----2012、05月05日(金、10時)----------
以下が著者である。
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磯貝勝太郎 いそがい-かつたろう
1935− 昭和後期-平成時代の文芸評論家。
昭和10年1月26日生まれ。
作家をこころざしたが大衆文学評論に転じ,
昭和58年「大衆文学評論への努力」で長谷川伸賞。
国際基督(キリスト)教大図書館主幹をつとめた。
東京出身。
著作に「歴史小説の種本」「親と先生にないしょの話」
慶応義塾大学文学部図書館学科卒業。
「司馬遼太郎の風音」など。
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初めての人だからマヅ挙げた。
読んでいて、作家か・・??
読めない。
評論家なら分かる。
文が流れて読めない。集中出来ない。
悪口はやめよう。
扨、内容だが、
第一部は殆ど飛んだ。 が、「歎異抄」とか、「戦車」、「学校」などは読んだ。
第二部は「作法」
この辺も、評論の様で飛ばす。
第三、四部が面白い。
司馬遼は「歴史小説家」である。
彼は「作家」と呼ばれるのを嫌ったらしい。
「竜馬が行く」は当然、小説だ。
が、「坂の上の雲」も、絶対「小説」である。
そこの所を、確認したい。
「司馬史感」という言葉がある。
歴史と思っている人が居る。
おれもそうだ。
しかし、少し反省する。
全て、小説だ。
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同時代の作家達の話で、
特に「松本清張」を取り上げたい。
司馬遼の前、よく読んだ。
量も司馬の次だろう。
社会派推理作家」だ。
小説に社会が出てくる。
最近もテレビで見るが、
少し時代が違う。
でも通用する。
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司馬の場合、
「学徒出陣」世代だ。
この世代が有った事は忘れていけない。
そして、その為にも、彼の小説は残る。
終戦が二十二才。
この世代が、何を考えたか。
極端に言うと、
彼の人生を考えれば、戦争が分かるかも知れない。
「権力」という物に対し、清張と違う、意見がある。
清張はどちらかと言えば、「反権力」だが、
司馬遼は、権力に対し「思考」している。
そして、「日本人」を見つめている。
外からも見ている。
朝鮮、中国、モンゴルから見ている。
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序ながら、この視点、今後大切になる。
世界の日本で生きていくなら。

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