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-----no.7380-----2012、05月12日(土、07時)------

どこで貰った本か、忘れた。
後に「一〇〇」と書いて有るので一〇〇円で買ったか。
二日間で、ざっと見て、
今捨てようと思う。
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此処等辺の本、調べると、原文がUpされている。
もう、紙で見る本でもないかも。
愛知県辺がどう書いてあるかが問題だ。
当然、名古屋は無い。
熱田はある。
津島は、菅津か?。
短すぎる。また読もう。
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海道記
一 序
 白川のわたり、中山の麓に、閑素幽栖のわびびとあり。
性器に底なければ、能を拾ひ藝を容るるにたるべからず。
身運はもとより薄ければ、報を恥ぢ命をかへりみて恨を重ぬるに處なく、
徒に貪泉の蝦蟇となりて、身を浮き草によせて力なきねをのみ泣き、
空しく窮谷の埋れ木として、意の樹、花たえたり。
   ------------略---------
六 萱津より矢矧
 八日、萱津を立ちて鳴海の浦に來ぬ。熱田の宮の御前を過ぐれば、
示現利生の垂跡に跪いて一心再拜の謹啓に頭をかたぶく。
しばらく鳥居に向ひて阿字門を觀ずれば、權現のみぎり、
ひそかに寂光の都にうつる。
それ土木霜舊りて、瓦の上の松風、天に吹くといへども、
靈驗日に新たにして、人中の心華、春の如く開く。
しかのみならず、林梢の枝を垂るる、幡蓋を社棟の上におほひ、
金玉の檐に [4] たううつ、金色を神殿の面にみがく。
かの和光同塵の縁は今日結びて悦びを含むといへども、
八相成道の終りは來際を限るに期なきことを悲しむ。
羊質未參の後悔に向前の恨みあり、後參の未來に向方のたのみなし。
願はくは今日の拜參をもつて必ず當生の良縁とせむ。
路次の便詣なりといふ事なかれ、これ機感の相叶ふ時なり。
光を交ふるは冥を導く誓なり。明神さだめてその名におへ給はば、
長夜の明曉は神にたのみあるものをや。

光とづる夜の天の戸はやあけよ
朝日こひしき四方の空みん
 この浦を遙かにすぐれば、朝には入潮にて [5]魚にあらずば泳ぐべからず。
   ------------略---------
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東関紀行
 齡は百年の半に近づきて、鬢の霜漸く冷しといへども、
なすことなくして徒にあかしくらすのみにあらず。
さしていづこに住はつべしとも思ひさだめぬ有樣なれば、
彼の白樂天の「身は浮雲に似たり、首は霜に似たり」と書き給へる、
哀に思ひ合せらる。
   ------------略---------
 尾張國熱田の宮に至りぬ。
神垣のあたり近ければ、やがて參りてをがみ奉るに、
木立年ふりたるもりの木の間より、夕日の影たえだえさし入て、
あけの玉垣色をかへたるに、木綿しで風に亂れたる、
ことがら物にふれて神さびたる中にも、ねぐら爭そふ鷺むらの、
數も知らずこずゑに來ゐるさま雪の
つもれるやうに見えて遠く白きものから暮ゆくまゝに
靜まりゆく聲々も心すごく聞ゆ。
ある人のいはく、
「此の宮は素盞嗚尊なり。
初は出雲國に宮造ありけり。
八雲たつといへる大和言葉も、
是よりはじまりけり。
其の後景行天皇の御代に、
この砌に跡を垂れ給へり」といへり。
又いはく「此の宮の本體は、
草薙と號し奉る神劔なり。
景行の御子日本武尊と申す、
夷を平げて歸り給ふ時、
尊は白鳥となりて去り給ふ。
劔は熱田にとまり給ふ」ともいへり。

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