-----no.7466-----2012、05月19日(金、16時)------

まだ、15日の事を書いている。
7時半から、半田ガイド講習。
乙川である。
今回から始まる。
前回休んだ。
次回の実地も休む筈。
1時間半を思い出し乍、書く。
-----------
資料に地図有り。
終了で返却らしい。
古地図もある。
現代地図がいつのか不明だが、
家毎に家名がある。
住宅用か。
余分乍、「杉浦」姓の家が多い。
---------------
初めから説明で「海蔵寺」がある。
「ここを知らない・・モグリ」
恥ずかしながら・・浮かばない。
----正通寺-------
正通寺は三河一向一揆が起源らしい。
直接此処で無く、野間から移ったという。
移る理由は書いてないが、
秀吉、家康の頃、武士はサラリーマンの
転勤如きは大いに有りうる。
-----佐吉------
特に、家迄見なくてもいいが、
見たほうがいいだろう。
それより、庄屋藤八の管轄範囲を知りたい。
何処から何処までの庄屋か。
其処に何屋が有ったか。
この辺、段丘状の上の様な気がする。
だから、村も大きいかも、
それと、廻りの田圃の広さ、
今は想像でしかわからないかも。
やはり、あるくべきだろう。
-----八幡神社----
喧嘩祭りは、清正の石引きが起源と。
うなずける。
石だが、正通寺前に有ったという。
此れをどう解するか。
運ぶとしても、海か湊迄か、
この辺、岩場か、
石切り場と言う感じがしない。
古墳の石でも転がって居たか。
疑問ばかりである。
古老に「この辺に大きな石はありますか」
と、聞きたい。
そう言えば、正通寺の石垣も、
常滑同様か気になる。

2012年05月へ