-----no.7477-----2012、05月20日(日、09時)------

道標の存在は大分前から知っていた。
が、歩いて見たのは初めて。
場所は東海道。
ほぼ南北の道を、北に6,700メートルで
八橋の無量寿寺の所。
鎌倉街道の方が八橋に近い。
八橋は、逢妻男川。
東海道は猿渡川である。
理屈どおりだ。
つまり、八橋は男女の事。
猿と行っては申し訳ないが、
明治の兵隊が、こちらを渡る。
その件は後ほど述べるとして、
先ず、道標。
近くの一里塚は対である。
この道標一対、内容は同じである。
元禄九年だ。距離も書いてある。
「業平作観音有」
江戸幕府の絶頂期なのだろう。
つまり「伊勢物語」が盛んに読まれた。
芭蕉の「発句のおもひ」は発句だ。
此処で問題は、「寺=観音」は良いが、
「花」が疑問だ。
今の境内の花では無いと思う。
かきつばたは、東海道から、いたるところで見えたと考えた。
如何か。
この辺の発想は、「桶狭間」も同じだ。
旅の序の話として、この辺で良い。
狭い地点では無い。
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此処で探そうとした所が、後一ツある。
明治天皇観覧「軍事演習」だ。
最近移動したらしいが、やっと「発見」
発見するまで、探したので、地形が少し分かった。
これは、「半田」のに続いての演習だ。
前に少し触れた。川渡りである。
猿では無い。兵隊だ。
展開出来る広さがある。
半田が「旅順」なら、
ここは「黄河」か、どこかだ。
写真では見にくい。
現物も中々読めなかった。
ただ、演習は明治二十三年。
碑は二十七年は確認した。
内容は、後ノチ、写真で読もうと思う。
橋にはのどかな松並木だが、
私には、兵隊の突撃が見えた。
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写真でまだ述べてない事は、燈篭である。
相当古そうだ、何気なくある。
此処の松も自然で良い。

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