-----no.7525-----2012、05月23日(水、十三時)------
まだ、記録しようとしている。
天気は快晴、が家に居る。
時々庭を手入れ、掃除しながら。
(それは、又別の頁にらろう)
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扨、本題。
先日の常滑の食事の時、「買わないか」と言われた。
迷っていたら、盛んに奨められ買った。
1,500円を1,000円と云う理由は、どうも関心出来ない。
こちらの賎しさが出て、恥ずかしい。
タイトル副題「子孫に伝えたい」とある。
東浦の子孫には、伝わらないだろう。
古地図である。
現在の「常滑地図」もたどたどしいのに!!!。

「ビニボン」状態の中身が見えなかった。
今後、常滑の事を話す時は、役立つだろう。
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地元の人は、地元を宣伝する。
これは、東浦でもそうだ。
だが、余所者に取ってはどういう意味だろう。
自分の所と同じか違うか。
文化と言う事でも、考えたい。
文化は「共通」か、「相違」か。
お互いに理解し合いたい。
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断っておくが、明治十二年だ。
映画「点の記」で出てきた、「帝国地形部」だろう。
否、違うか。こんな「住宅地図」様では無い様な気がする。
個々の氏名が出てきて、問題も感じる。
子孫が何か言わないか??
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話はずれる。今度、「ふるさと散歩」がある。緒川新田の事。
参加者は殆ど、地元の人だろう。他所の人は居ないがいたら。
又、それる。「ふるさと」の定義だが、以前に書いたかもしれないが、
「うさぎ追いし、・・小鮒つりし・・」が、「ふるさと」である。
「うさぎ美味し」と思っている人には、ふるさとは無い。
うさぎを追ったことのない若者よ、貴方は「ふるさと」と言うか、多分言わない、「出身地」と言う。
「出身地に田圃はあったが、器械で田植え、器械で刈り取り、小鮒は見たこと無い」・・
この人には「ふるさと」はない、「出身地」があるだけだ。
先ず、歩こう、自動車で通るだけでは行けない。「ふるさと」にするには、先ず歩く。風を見て、樹木に訪ねる。
晴天を祈る。

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