-----no.7606-----2012、05月31日(水、11時)------

昨日、豊田へ行く前、
時間潰しに、刈谷に寄る。
つまり、豊明経由となる。
苺、ドーナツだけ仕入れる。
すると、豊明が近い。
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豊明の吉池辺で境川を越える。
此処の川巾の狭さを思う。
つまり、緒川は10倍程の巾になる。
(東浦の平成大橋だって、
立派すぎる。
と言うのは、
この下を船舶が通る亊があるからだと思う。
新田の地先から、向こう岸までは、
そんなに無い筈。)
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此処等辺で、私の目的をバラすと、
「花」で無い。
「地形」が、目的だ。
例えば400年前の刈谷の、
「小堤西池」を考える。
ここの訪問は四、五年来て居ない。
「杜若」の西は、田だと思って居た。
今回、麦を認識し直す。
四百年前は、河原だろう。
西に二村山辺が見える。
鎌倉街道は、船で無いとすると、
歩ける陸があり、沼には、一面「かきつばた」
それが、今、全て農業化し、わずかにここだけ残った。
「今川義元」は「裕福寺」から、
二村山へ行った事になっている。
此処は「輿」が良い、。
担ぐ方は泥の中を行く、滑る。
だが「輿」から花園の中を行けば
「極楽」に近い感じだろう。
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警備員が居て、遊歩道は入れ無かった。
西側にも警備員が立って居た。
がこちらの方がわずかに近い様だ。
七百二十数歩は歩いた。
駐車場から、一応洲原の池だけ見た。
土手を刈り上げて居た。
桜以来の手入れの様だった。
帰りは、北に進み右折。
高岡から豊田へ行く。
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又、蛇足だが、
文化には金が懸る、
八〇〇円x二人x八時間x三〇日で計算すると、
幾ら???三十六万。
監視だけでだ。
それ以外当然相当懸る。
国の記念物は、国から予算が着くか??
つかないだろう。

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