-----no.7616-----2012、0六月01日(木、09時)------

31日午後、迷う。
恒例の古文書か、
小垣江か。
電話で、「小垣江」選択を伝えた。
こちらは、一度だけの機会かも?。
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予備知識が無い、
調べるヒントは、集合場所の
「ちょうえんじ」
地図で探す。
「超圓寺」がある。
此処か。
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早めに出る。
一番乗りの様だ。
廻りを少しあるく。
寺の下まで、海??と感じた。
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結局、3寺を車で廻る。
で、三寺を述べる。
------超圓寺-----
名号「南無阿弥陀仏」の軸が二本。
絵伝四軸は「親鸞」「蓮如」。
素晴らしい軸である。
が、私の聞き間違いか、
「絵伝の絵解き」が聞けると思って居た。
内海の大坊では有料で聞ける筈だが、
聞いて居ない。
これだけで一時間の積もりが間違いで有った。
江戸時代の作であろう。
この頃、「字」が読め無い人も居り、
「絵」で理解すると、「絵解き」をする。
「一代記」を絵解きするより、
「地獄」を絵解き」するほうが効果有る。
それは、何も無い。
綺麗な「絵」には蓮如の方は、やけに、「火」が見えた。
「青」も綺麗だ。上質の岩絵の具と思う。
------龍江寺-----
車で、移動。
どう見ても、平原の中、
それに、小垣江だとは思えぬ距離。
城と関係が説明された。
------専称寺-----
車で移動。迷子になる。
帰った、確かに「小垣江」と思う。
つまり、超圓寺へもどり、ウロウロしていたら、 案内してくれた。歩いてスグだ。
遅刻だから、説明出来ない。
解散後、違う道を進んだ。
線路に出た。
後、車で帰る。
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扨「小垣江考」である。
地図で考える。「超圓寺」が北の端だと考えた。
今、考えているのは、戦国末期だ。検見橋が、入口である。というより湊である。
今、橋から道路で東西分断されたが、此処を中心に東は、線路までは、人家と思う。
超円寺、観音寺、専称寺と寺が固まる。この廻りが「小垣江」と考えた。
道は狭い。何とか車も通れる道を作った。だが、歩けば、旧屋敷地は分かる、畑も分かる。
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上は歩いての考え。次に、地名考をする。
「小垣江」の「小」は小さい、そのまま、「垣」だが、水面からみたら多分、そう見えたと思う。
標高五、六メータだろう。
【江】は海や湖沼の陸地に入り込んでいる所。入り江。古くは、広く海・川・堀などをいった。
 「奈呉の―に妻呼びかはし鶴(たづ)さはに鳴く」〈万・四〇一八〉
楞厳寺(りょうごんじ)まで、1キロ無いだろう。
此処と、半城土と是は「江」であり、その一部として「小垣江」と考えた。どうだろう。
天文二十三年(1554)正月二十四日、つまり村木砦の戦い,,永禄三年、桶狭間
この辺の時代の地形が見えてきた。如何か???

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