haruharu Page

-----no.7679 <<-----2012、06月05日(火、15時)----------
感想を忘れない様に急いでいる。
暫く出かけなかった。常滑の写真を受け取る
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先ず、「歴史散歩」
(東浦誌Uが出たそうだが、今は余裕が無い。)
3章する。
緒川水野U高藪と、小川から緒川と、入海神社だ。
ヤマト建尊は古すぎる。歴史と言うより、
どうも、民話に近く感じる。
その他は、戦国末期をどう定義するかが問題だ。
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次は、「於大の子孫」と成る。
正式なタイトルは「於大の方と久松俊勝の子孫」。
個人的には、「久松」という家は出てこないから、
「於大の子孫」の方が、的確な題と考える。
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扨、以下に考察したい。
知多半島である。
尾張と三河の間とする。
其処に「信元」が居た。水野が居た。
三河は「松平」で、尾張は「織田」と
簡単化する。
序に、美濃を「斎藤」、
駿河も「今川」としよう。
そう簡略化して、それからその他を考える。
水野、千賀、佐治、菅沼、
序に
石川、大久保、久松なども、それに入れたい。
つまり、何処と組むかだ。
歴史の後世を知らないと仮定して考えたい。
水野にしても、分家は多い。同様に、
松平でもそうであり、その他もそうだろう。
問題は「何処と組む」かだ。
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「信元」に戻す。
信長と家康が居る。
此の三角形を考える。
此の三角形は「友」か「敵」か、
簡単に割り切ってもらっては困る。
家康と信長を「友」で割り切らない。
まだ「本能寺」は疑問である。
その前、数年に「信元」が居る。
信元は「家康」も「信長」も、
共に「敵」で有り、「友」である。
「信元」を単純に、信長に言われて家康が殺したでは、単純すぎる。
家康が殺したかったとも考えられる。
この三角形は、各頂点(家康、信長、信元)に立って、
その二辺を見ながら考えなければ、本当は見えない。まだまだ、疑問は続く。
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江戸時代が始まる。元禄頃までは、「家」が秘密を持っていた。
今更、「天下」を狙わないが、上に上がろうとしていた。
婚姻で、それを考えるのは、天皇家でも、藤原家でも、ある。江戸に始まったことでない。
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日本では、「男の家系」しか解らない。其処に女の流れを探すのは大変である。
(中国では、女家系が「姓」で、男が「氏」らしい。)
女は特に分からん、生まれ年、名前さえ分からん。男親が分かるだけ、「XXの女(娘)」で終りだ。
側室の子でも、家が認めれば、正室の子に成る。側室も座敷牢に居るわけでないので、誰の子か解らない。
其処らを考えると、「血」が続いているか疑問に思う。私が「血」を余り考えない訳だ。
只、女は「自分の生んだ子は可愛い」これは、変わらないと思う。
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江戸時代は「家」を大切にしたが、私は、「個人」で見たい。
大岡忠相や、上杉鷹山なんかを見ていると、どうも「家」を感じない。「生まれ」の方を見る。

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