haruharu Page

-----no.7687 <<-----2012、06月06日(水、10時)----------
昨日6日の風景。
朝9時の田植えと、夕19時の夕焼け。
まあ、カメラのテストとも言える。
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(勉強会出席)
先ず、田植えである。
一番上が、車から普通に映す。
その下がズームで撮る。
サイズは、3072X2304Dotだ。
其の下は、一番上の写真を
パソコンで四倍拡大だ。
ノーマルの撮影は
「軽」のナンバーが読めない。
ズームの人の腰の袋が
「くみあい??」と大きい字は読める。
車から撮影だが、
三脚を使えばもう少し
鮮明な画像に出来そうだ。
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(半田講習出かけ)
夕日は、人の目は明るくても、カメラの目は暗い。
オートで、車の中から、運転中は相当ぶれる。
安定運転中とか、信号待ち何かだと、
一応、ぶれは少ない。
綺麗な夕日。
久しぶりの感動。
お出かけ途中の画像だから、
心が無い、が、
それなりに、観賞出来る。
失恋の後何かだと、
忘れられない「夕焼け」の美になりそう。
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扨、田植えを考える。
此の写真は田植えで無い。
田植えは「器械」だろう。
その後の「保守」だろう。
一瞬の事だから、詳しくは解らない。
「草取り」には、早すぎる。
すると、「器械田植え」の補修となる。
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イタリヤで稲植えは、直播らしい。
当然「収穫量」は減るが、人件費を考えると、
経済的には直播(じかまき)が儲かるという。
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民族の違いと思う。
農耕民族と狩猟民族。
農耕民族は、「土地」である。
狩猟民族は、移動して他の獲物を狙う。
日本は2千年の血が、「田」に向かう。
イタリアは直播で時間が余る。
そして、何をしているのだろうか。
多分、町へ出て、娘さんに、
「娘さん、綺麗だね」と言っているのだろう。
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今の農業年齢は、高齢化している。
話は、未来に飛ぶ。まあ、30年後だ。
誰も、此の写真の被写体は居ない。
器械で植えるか、直播かは、まだ言えないが、それきりだろう。
「田植え」は現在でも、もう「神事」に近い。 「労働」で、「早乙女の田植え」は絶滅した。
平成二十四年の貴重な写真である。三十年後に、民族資料館に張り出されるだろう。
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以下は、考え過ぎかも」と思いながら、追加する。
東北である。
「土地が良い、ふるさとが良い、離れられない。」
民族だから、仕方ない。
が、若い子はそうとも限らないと思う。
三十年後、「東北の農家育ち」と「東浦の農家育ち」の
会話を想像出来ますか。
どちらが、「ふるさと、・・うさぎおいしふるさと」を語るか???

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