haruharu Page

-----no.7763 <<-----2012、06月17日(日、4時深夜)----------
ハワイ一日目の頁2だ。
取り敢えず付いていく。
言われたままだ。
(後で知るが、荷物は、
ホテルに届けられて居る)。
要するに手ぶら。
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旅行会社のセンタでウロウロする。
日本語がわかる人が居る。
今からどうなるか不安がよぎる。
でも此処では、日本語Okだ。
東京組の2人と合流。次男夫婦。
旅行会社との交渉は、次男がしている。
オプションツアーは殆ど彼の案だ。
取り敢えず「食事」となる。
何を食べたか覚えて居ない。
腹が空いてたのさえ覚えて居ない。
旅行社のトロリーに乗る。
是、便利。
何度乗っても良い、どこで降りても良い。
町をグルグル廻る。
只、歩かないと位置関係は解らないと後で知る。
ほんの隣りが認識できて居ない。
是、今改めて思うと、買い物センターと海岸と、ブランド街を回っているだけ。
そのルートにそれぞれ、ホテルが有ると言うことだ。
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初めは、風景・・海、植物、人なんかみてるだけ。
マーケットへ行く。
結婚式は是で正式礼服と言うことで、靴とハンカチしか日本から持って着てない。
40ドルか、50ドルか、忘れた。
此処でコインの説明を受けた。
日本語が通じ、おまけのバックも貰った。
ウキウキ気分で、レイも買う。
時計も買った。之で現地時間になった。
時計は英語だった。でも、何とかなった。後で考えると、少し高いかも。
その時の気分は「60ドルは5000円以下、そう高級で無い」程度。
白人系の英語にビビる。こちらの英語の下手さがヤケに気になる。
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一番下段の写真だが、
左から、マーケットのトロリーバス。
その右が、軍の記念館、
右は、ブランド街。
この記念館とブランド街が、ホテルから近いのは
最後の頃やっと理解出来た。
歩いて行けた。歩いて行くことになる。
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只、この日は全く主体性の無い俺だった。
一番上の写真の2ショットの写真。
この人はHISの人で、日本語は大分出来た。
俺はこの最初の案内人に盛んに「真珠湾への行き方」を聞いていた。
「簡単に行けるよ」とか、「どんな方法でも行けるよ」てきな答えだった。
この人とは、それ以後もう合わなかった。

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