haruharu Page

-----no.7970 <<-----2012、06月28日(木、09時)----------

ハワイの頁の全ての分を纏めてみた。
47頁有った。
文を集めるのはそれなりの時間で出来たが、
このしたのリストを反転・・つまり上から6月4日。。。。と6月25日まで入れ替えるのに
じかんが掛かった。昔、プログラムを作っていた事が懐かしい。五行や六行ならすぐだが、47は大変。
-------------d20120627マトメハワイ.mem--------
/h20120604c_sundaru.html,サンダル、、20120604
/h20120607a_day.html,部会、真珠湾、20120606
/h20120615a_choko.html,チョコ、ブランド、20120614
/h20120615b_picbuy.html,写真、買う、2012061?
/h20120615d_wedAke.html,結婚式、写真母、20120612
/h20120615e_kaeri.html,帰りの車、、20120612
/h20120616b_sinjyu.html,真珠湾、T、20120612
/h20120616d_iki.html,行き、豊田、20120608
/h20120616e_miyage.html,帰り、空港、20120612
/h20120616f_inAirP.html,行き、空港、20120608
/h20120616g_08a.html,着、ハワイ、20120608
/h20120617a_08b.html,扨、ハワイ、20120608
/h20120617b_08c.html,オプション01、ポリ、20120608
/h20120617c_09a.html,ホテル、朝、20120609
/h20120617d_09b.html,農家市場、ダイヤ、20120609
/h20120617e_09c.html,又買い物、迷子、20120609
/h20120617f_09d.html,パレード、QUeen、20120609
/h20120618a_09e.html,空港へ、to Maui、20120609
/h20120618b_09f.html,車に乗る、、20120609
/h20120618c_09Oa.html,火口まで、、20120609
/h20120618d_09Ob.html,星から帰る、、20120609
/h20120618e_10a.html,気になる木、、20120610
/h20120618f_10b.html,北海岸、、20120610
/h20120618g_10c.html,北海岸、教会、20120610
/h20120618h_10d.html,北海岸、帰り、20120610
/h20120618i_10e.html,北海岸、帰り2、20120610
/h20120618j_10f.html,日本、??、20120610
/h20120618k_10g.html,クルーズ、a、20120610
/h20120619a_10h.html,クルーズ、hawaii美人、20120610
/h20120619b_10i.html,クルーズ、お開き、20120610
/h20120619c_11a.html,朝、散歩、20120611
/h20120619d_11b.html,正装、出、20120611
/h20120619e_11c.html,リハーサル、、20120611
/h20120619f_11d.html,おめでとう、、20120611
/h20120619g_11e.html,花シャワー、、20120611
/h20120619h_11f.html,移動、ホテルへ、20120611
/h20120619i_11g.html,ランチ、ホテルへ、20120611
/h20120619j_11h.html,タンク、閉鎖、20120611
/h20120619k_11i.html,かめはめは、BUS、20120611
/h20120620a_11j.html,海岸、迷子、20120611
/h20120620b_12a.html,タンク、入場、20120612
/h20120620c_12b.html,空港へ、、20120612
/h20120620d_plane.html,機内、デルタ、20120612
/h20120620e_aichi.html,愛知、帰国、20120612
/h20120621b_mukae16.html,お迎え、、20120616
/h20120621c_nagori.html,名残、、20120621
/h20120625b_panfu.html,海外、パンフ、20120625
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----/h20120604c_sundaru.html,サンダル、、20120604
-----no.7663 <<-----2012、05月04日(月、9時)----------
サンダル。
数日前、足サイズを聞かれた。その後、「靴下」と云う噂が有った。
高級になると、「靴下もサイズが有る」と云う。受け取ったのは・・・「サンダル」
「タボラ」と云うらしい。すこし調べる。--------------
タンザニア中央部に位置し、タボーラ州の州都,タボラは奴隷貿易のターミナル
1885年にはドイツ領東アフリカに組み込まれたものの、1891年には未だ実効支配は及んでいない状況であった。
ドイツ施政下においてもタボラは重要な都市であり、-----------------
以上で、大体分かるか。タンザニアと言われても、そう解らない。
昔、アフリカの写真で、足元はこんな物だつた様に思う。
日本で言えば、草履か?草履と言っても、ニューヨークで買えば相当だろう。
日本でアフリカノ物はやはり相当だろう。
アフリカの草食動物から、皮を取り、一度、ヨーロッパに行き、その後、日本に来たか??
高級だろう、何故か??、証拠は,袋が2ツも有り、その中から箱が出てきて、
そこからまた、紙に包まれてやっと出てきた。袋だけでも、商品になりそう。----------------
だが、はき心地は最高。アスファルトより、土埃の舞う砂漠がいいかも。
海岸でも当然いいだろうが、国際化した日本の空港も、似合いそう。(只、足が白すぎるかも、
帰りは、黒く焼けて又似合うかも),謝謝(シェーシェ)------------
是も蛇足だが、「SANDAL」らしい、英語を習った時、Sunは太陽だったからと聞いたが、「San」は何語だ。?? -------2012年06月へ
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----/h20120607a_day.html,部会、真珠湾、20120606
-----no.7696 <<-----2012、06月07日(木、8時)----------
部会勉強。その後、だらだら。パールハーバが気になる。
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----/h20120615a_choko.html,チョコ、ブランド、20120614
-----no.7730 <<-----2012、06月15日(金、3時)----------
今、6月15日、夜明け前3時過ぎ。又、日誌を続けたい。と言うのは、暫く、日誌が書けなかった。
つまり、家に居なかった。こういうのを、一般には「旅行」というらしい。
土産も個人的には買わない。「連れ」が、チョコを買い、今、その割り当てを食べている。
チョコは、食べ過ぎると喉が痛い様だ。飴が欲しい。
ハワイに行くのに、一ツだけ希望が有った。真珠湾に行きたかった。
でも、行けなかった。強い意思が有れば行けた・・でも行かなかった。
ハッキリ言うと、「意思」が弱い。「連れ達」が、買い物に行く。俺は、一人ホテルに居た。
三十五階だから、海が見えた。下の車も見えた。夜景も見た、朝の音も聞いた。
街角の、ブランド品の店が見えた。でも買うもの無い。だから上から人と、車の流れを見ていた。
でも、それなりに楽しんだ、安心してくれ。千円の時計が動かなくなっていた。時計をかった。確か60ドルか。
まあ、それなりに良い、動いて居るし、待ち合わせには時計が居る。
だから現地時間が知りたい。勿論、ブランドでない筈だ。それでいいのだ。軽いし、買い物は他にも有る。
いずれまとめたい。---------------
此処で「ブランド考」をしたい。ブランド店が並んで居た。そこは、一人では入れない様な所、先に入る「連れ」が
行くので、ついていくだけ、・・スーツをピシッと決めた人が微笑む。草履の俺も、似合わない微笑みをする。
本音を言うと・・(怒られるかも)・・前を行く男もブランドは似合わないと思う。だって、俺の子供だから。
ただ、息子は英語が出来る、俺出来ない。 「ウオッチ、I Want」位。後は、値札を見て決めて、
財布を出すとそれなりに袋に入れてくれた。これは、当然、普通のマーケットの話で、
ブランドでは無い。 扨、ブランド考に戻る。ホントの金持ちなら、日本でも、買える。銀座へ行き欲しいのを選び、
日本語で「ちょうだい」ですむ。何でハワイで買う、安いからだろう。ホントに安いの、???そう思わない。
普通の値段だと思う。輸入するから日本では高いだけだとおもう。
向こうで喉が渇き、ペットボトルを買う、ジュースは安いが、「イトーエンのお茶」がヤケに高い。
ハワイでは、俺には、「伊東エンのお茶」が一番合った。-----2012年06月へ
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----/h20120615b_picbuy.html,写真、買う、2012061?
-----no.7730 <<-----2012、06月15日(金、3時)----------
写真は三枚買った。俺のは、二十ドル。後は二十五ドルだっけ??。
確か、クルーズは二十五ドル。ポリネシアは二十ドルだったかよく覚えてない。家族写真はまあ、よくある事。
家族のは適当に小さくしたので、家族からクレームは出ないだろう。
少し説明しよう。デッキで写真を撮り、中に入ると、腕を掴まれた。
ウエートレスのオネーサン。廻りを見ると、客の数人が、「レイ」等して、腰巻をし・・
「no」と言うが、それに対して「no」という。腰巻をし、ステージへ。
十名も居たか??踊らされた。こんなのは、「ふら」でなく、阿波踊りに近い。
家族の冷たい目を感じながら。俺は、全くアルコールが入っていない。
それでも、その雰囲気がある。「旅の恥は、描き捨て」・・
夕日が沈み、帰るだけの船内・・これだろう。之で、空気が和らいだか。
日本語と英語の堪能な「歌手」の案内である。他はフラが三名、ギターと歌のおじさん一人。この五名でチームのようだ。
「歌手」は、日本人か、日系3世位。おじさんは、少し「ラテン系」の感じ。
フラの三人は、写真のねーさんが40位か??他は、現地人ポイ二十代、
白人ポイこれも二十前後。写真はもう後半の様だ。
だって、十六ドル位のを着ている。ズボンの方も、二十ドル位だったように思う。
いろんな人が居るが、それはそれで良い。そこが、国際都市だろう。
外国の事は解らない。「歌手」のオネーサンは、司会でもある。
俺のフラの次は、記念日だ。日本人のカップルは、新婚旅行のが2、3ある。
アメリカ人は、結婚記念日が殆ど::20周年、25周年、・・・
何処から来たか・・オレゴンとか、ミシガンとか・・カップルは、ステージで、ダンスとなる。
映画で見るスマートさは無く、恥じらい乍踊っていた。そんなところさ。
日本人だけが、躊躇するので無く、アメリカ人でも、同じだ。ただ、アメリカは、「結婚記念日」は重要なのだ。
俺は、日付もハッキリしない、確か10月??日何年前か??
それは子供の年で、逆算する事にしている。子供の年を間違うと、結婚年数も間違う事になる。
息子に年を聞いて答える。新しい世代は、違うらしい。---------
歌を全員で唱い、踊る。その歌、西条秀樹の「YMCA」。之では日本。
アメリカ人が之で踊っていたかどうか。良く見なかった。だって、いちばん前である、窓側では無い。----------
そういえば、改めて言う。結婚式に出席に来たのだ。
覚えやすい、ハワイの年が、結婚した年。子供達を中心に生活が動いている。
50以上の日本人は多分そうだろう。---------
良い機会だから、この旅を説明する。下に二枚写真がある、一番下が5人で旅行だ。
左右の二人は、断らなくても良いと思うが、現地人だ。
中部空港から三人、日立の二人が成田から来て旅行社(IHS)で合流。
その上は、今回の花嫁が港で待っていた。合流して、6人でクルーズした。------------
写真を良く見ると、ポリネシアンの時から、クルーズまでの間で、少しずつ各人も変化し、
ハワイぽく成つてきている。その点、着いたばかりの娘は、ハワイ化していない。
下二枚の各人の「アロハ」のサインの手が時間とともに、様になってきた。-----2012年06月へ
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----/h20120615d_wedAke.html,結婚式、写真母、20120612
-----no.7732 <<-----2012、06月15日(金、9時)----------
花嫁の母親の写真である。プライベートな部分は控えた。朝、遅刻せず着く。
早めだ。当然かどうか、予行演習である。本番は、撮影禁止と花嫁から堅く言われた。
枚数が少なく。大体が解らない。で、言葉で言う。カメラマンは二人。
一人がビデオ、一人が、スチール。青い服が、案内。この他、歌の人、オルガンの人、肝心の司祭。--------
花嫁、花婿は、来る時も、行く時も、胴体の長い車だ。この運転手が面白かった。
日本人の顔のハワイ人のようだ。運転だけでなく、色々教えて呉れた。
子供が、有名学校に入って居る。優秀なのだろう。
「「ダメ元」で受けたら、受かってしまった」と言うが、・・・
金も有り、予備勉強をしても受からない子は受からないと言っていた。
20万の家賃は払えないと言う。どこに住んでいるかまで聞けない。
ダウンタウンの近くの教会だ。右下の写真で、わかる人はわかる。
「セント、ピータ」だ。この写真機の写真で表現出来るのはこのくらいだ。-----------2012年06月へ
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----/h20120615e_kaeri.html,帰りの車、、20120612
-----no.7754 <<-----2012、06月16日(土、13時)----------
水平翼が見えるのは、まだ機内。エンジン,胴体が見れれば、機外だ。
これは変わらない、二階に降りる。たまには、タラップで、グランドに降りる空港へ行きたい。
茨城はまだそうだ。---------着いた時だ。静かな空港である。ハワイのホノルルとは、比較にならない。
荷物を受け取り、帰国だから、直出れる。--------------
孫は空港まで来てくれた。と言う事は、此処で解散。手持ちのお土産だが、渡す。
勿論、軽い「土産」だ。ひょっとしたら「本」??
勉強物なら、「喜び」から「苦しみ」に変わる。俺も、その手の物だった。
5ドルの塗り絵もどき。だが、やっと喋り初めだから、欲しい物が余り解らない。
まあ、仕方無い・・か----------------
注意深く写真を見よう。孫の足だ。星条旗が見える。これ、ブランドか・・??
日本で買えば高いか??否、どこにでもあるもの。勿論、孫が迎えで、
我々が、アメリカから帰国だ。帰ってきての思いは、「アメリカ」は嫌いでは無い。
好きだ。いい国だ。只、英語が出来ない俺には、少し軽蔑された様な気もする。
英語を話そうと思った事が、二、三回有った。その事は、折々書きたい。--------
帰国後、初めての食事は「うどん」だった。行ったが、えびせんべい屋は休みだった。------2012年06月へ
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----/h20120616b_sinjyu.html,真珠湾、T、20120612
-----no.7744 <<-----2012、06月16日(土、1時真夜中)------
真珠湾だ。終に、行けなかった。帰りの飛行機の中からの写真だ。
この離陸の時、数枚写真を撮る。否、数えると3995から4057で島が見えなくなる。
60枚以上撮る。ホントの真珠湾は一番下の写真だ。このあたりだけで、10枚程ある。
丁度、雲が出てくる頃の高度である。連続という感じが取れない。空港から、真珠湾が続かない。-------
ハワイと言う州は何の島か?「観光」だ。それだけで無いと思っている。
時差8時間で、日本からより、カリフォルニアからのが近い。アメリカだ。
時差1時間のグアムとは違う。アメリカは農業国と言う人は居る。
移民国、多民族・・そうだ、全てそうだ。只、忘れていけないのが、軍事国だ。
ハワイもそうだ。観光客には、中々見えない。注意して見ると良くわかる。------
空港で、滑走路へ向かうと、「U,S,Air,FORCE」がすぐ出てくる。
皆さんは離れたゲートを見ている。みてても、お見送りは居ないが。そして、離陸すれば、俯瞰するだけ。------
この写真の「AirForce」は、輸送機だろう。その奥に林があり、その奥は戦闘機も見える。
海上の船も色から言って、軍用だろう。ー-------------
さて、一番下の写真が、真珠湾の様だ。地図は数度見た。
「アリゾナmemori」は、大体の位置は想像出来る。が、行ってないから、ハッキリ言えない。
軍事基地である。ハワイは「アメリカ」の西の端であり、沖縄は、アメリカで無い。
アメリカを守る「戦略」の基地に過ぎない。----------------
行けなかったが、分かった事は、廻りの地形が案外低い事である。「敵機」は、早めに発見出来そうだ。-----------
もう一度、行くべきだろう。又、「グアム」も行きたい。
経済的には、毎日インスタントラーメンで過ごせば、行けないだろうか??。
食費を個人で抑えても、その分、使われてしまうと行けないが。-----------
真珠湾に付いては、又、触れる頁も有ると思う。-------2012年06月へ
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----/h20120616d_iki.html,行き、豊田、20120608
-----no.7744 <<-----2012、06月16日(土、9時)----------
長男を迎えに行く。一日仕事で、夕方ギリギリ。親子で、暫くのお別れが分かるか。
お互い静かである。「出征兵士」でもあるまい、それ程、悲しみは無い。数日会えないだけだ。-------
数日前にも、中国行きが有った。でも、帰って直出かけもおかしいモンだ。--------------
雨模様。お互い車で、こちらは空港へ、あちらは実家へ。私が運転だから、写真は無い。
俺以外、写真は撮らない。車は、豊田東辺まで、付いて来た。
高速で急いだ、すると、又、隣りに着ていた。急いでも、そお、進まないと言うこと。
でも、知多半島道路入口の大高では、当然別れた。----------------
話は変わる。ドルに替える。USD82.32、 76・98とある。空港は儲ける。
行って帰るだけで、5円損する事になる。俺は10万がドルになつた。
多すぎるとも思った。長男は幾ら替えたか知らない。
その母親も沢山替えようとしていて、控えさせた。買いたいものが有るようだ。
行けない嫁さんに何か・・と、言っていた。
長男も買うものがあるだろう。嫁さんにか、孫にかは知らない。--------------
後の、ハワイでの話だ。ブランド廻りに少し付き合う。長男は英語が出来る。
喋っている。サイズがもう少し大きいとか小さいとか。これは、孫の物を探しているとわかる。-------------
俺としては、「買ってやる」気持ちが無い。が、長男の母親はその気が有る。
だから、俺は取り残される。二人で、いろんな店を回った様だ。----------
次男夫婦も、その気が有る。当然ながら同様に花嫁夫婦もそうだろう。
その中で、俺は迷子状態だった。うろうろうろうろ------2012年06月へ
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----/h20120616e_miyage.html,帰り、空港、20120612
-----no.7754 <<-----2012、06月16日(土、13時)------
水平翼が見えるのは、まだ機内。エンジン,胴体が見れれば、機外だ。
これは変わらない、二階に降りる。たまには、タラップで、グランドに降りる空港へ行きたい。
茨城はまだそうだ。---------
着いた時だ。静かな空港である。ハワイのホノルルとは、比較にならない。荷物を受け取り、帰国だから、直出れる。----
孫は空港まで来てくれた。と言う事は、此処で解散。手持ちのお土産だが、渡す。
勿論、軽い「土産」だ。ひょっとしたら「本」??勉強物なら、
「喜び」から「苦しみ」に変わる。俺も、その手の物だった。
5ドルの塗り絵もどき。だが、やっと喋り初めだから、欲しい物が余り解らない。まあ、仕方無い・・か---------
注意深く写真を見よう。孫の足だ。星条旗が見える。これ、ブランドか・・??
日本で買えば高いか??否、どこにでもあるもの。勿論、孫が迎えで、
我々が、アメリカから帰国だ。帰ってきての思いは、「アメリカ」は嫌いでは無い。
好きだ。いい国だ。只、英語が出来ない俺には、少し軽蔑された様な気もする。
英語を話そうと思った事が、二、三回有った。その事は、折々書きたい。--------
帰国後、初めての食事は「うどん」だった。行ったが、えびせんべい屋は休みだった。-----2012年06月へ
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----/h20120616f_inAirP.html,行き、空港、20120608
-----no.7754 <<-----2012、06月16日(土、13時)----------
この頁は出国時だ。取り敢えず、順番通り勧めたい。写真での、番号順。之で思い出す。----------------
出発の私のスタイルだが・・・帽子は・・向こうで捨てよう・・
シャツは・・これも捨てようズボンも・・捨てよう。そう思いながら、出かけた。
つまり、ごみをまとって出かけた。結果は、みんな持って帰った。今も着ている。-------------
電光掲示が写りが悪くよく読めない。---------2012年06月へ
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----/h20120616g_08a.html,着、ハワイ、20120608
-----no.7762 <<-----2012、06月16日(土、19時)----------
この頁はハワイ到着だ。できれば、時間軸で書きたい。---------------------
すると、これがアメリカの最初の頁となる。まだ、時計を買って居ないが、
時間は、ハワイ時間で書きたい。と言っても、取り敢えず朝だ。------------------
名古屋を夜に出て、ハワイに朝着いた。普通なら次の日だが、日付変更線を超えたから、
又、同じ8日となる。今から振り返ると、この時間が最も辛かった。
つまり、寝れなかった。席は横に、二席と通路と三席と通路とニ席である。
我3名が、真中の席。外が見えない。写真は何とか取ると、まあ、いいのは無い。
ほぼ、満席状態で、動けない。腹が、張ってくる。辛い。
所々にある、モニターが唯一の話相手となる。地図をみながら、
「まだか、・・」「まだか、・・・・」と思って居た。
只、「夜の明けない日は無い」と言われる。、長い苦しみの後、当然朝が来た。
朝が来て、でもまだ到着出ない。到着まで「もう少し」と待った。---------------
空港を歩きながら、眠かった。青いアロハの係員が「H.I.S」の人。
お任せで行く。不安は無い。飛行機はデルタでも、IHSは全て「日本語」
マイクロバスに乗せられて、「嗚呼、ここがハワイか」と外を見ていた。
運河の橋を渡り、其処は「観光地ハワイ」だった。HISのセンターに着く。
ハッキリ「日本では無い」と感じて居た。町が違う。道の広さ、家の作り、植物。
空港からのハイウエーも道がガタガタ。でもFreeHiWay、つまり無量。
第一、空気が違った。熱くても、爽やか。H、I、Sのセンターは外国の中の日本。
完全の「日本語」の人。日本語が通じるが「変な日本語」の人。----2012年06月へ
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----/h20120617a_08b.html,扨、ハワイ、20120608
-----no.7763 <<-----2012、06月17日(日、4時深夜)----------
ハワイ一日目の頁2だ。取り敢えず付いていく。言われたままだ。
(後で知るが、荷物は、ホテルに届けられて居る)。要するに手ぶら。----------
旅行会社のセンタでウロウロする。日本語がわかる人が居る。
今からどうなるか不安がよぎる。でも此処では、日本語Okだ。東京組の2人と合流。次男夫婦。
旅行会社との交渉は、次男がしている。オプションツアーは殆ど彼の案だ。
取り敢えず「食事」となる。何を食べたか覚えて居ない。
腹が空いてたのさえ覚えて居ない。旅行社のトロリーに乗る。是、便利。
何度乗っても良い、どこで降りても良い。町をグルグル廻る。
只、歩かないと位置関係は解らないと後で知る。ほんの隣りが認識できて居ない。
是、今改めて思うと、買い物センターと海岸と、ブランド街を回っているだけ。
そのルートにそれぞれ、ホテルが有ると言うことだ。------------
初めは、風景・・海、植物、人なんかみてるだけ。マーケットへ行く。
結婚式は是で正式礼服と言うことで、靴とハンカチしか日本から持って着てない。
40ドルか、50ドルか、忘れた。此処でコインの説明を受けた。
日本語が通じ、おまけのバックも貰った。ウキウキ気分で、レイも買う。
時計も買った。之で現地時間になった。時計は英語だった。でも、何とかなった。後で考えると、少し高いかも。
その時の気分は「60ドルは5000円以下、そう高級で無い」程度。
白人系の英語にビビる。こちらの英語の下手さがヤケに気になる。ー-----------------
一番下段の写真だが、左から、マーケットのトロリーバス。その右が、軍の記念館、右は、ブランド街。
この記念館とブランド街が、ホテルから近いのは最後の頃やっと理解出来た。
歩いて行けた。歩いて行くことになる。----------------
只、この日は全く主体性の無い俺だった。一番上の写真の2ショットの写真。
この人はHISの人で、日本語は大分出来た。俺はこの最初の案内人に盛んに「真珠湾への行き方」を聞いていた。
「簡単に行けるよ」とか、「どんな方法でも行けるよ」てきな答えだった。
この人とは、それ以後もう合わなかった。-----2012年06月へ
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----/h20120617b_08c.html,オプション01、ポリ、20120608
-----no.7765 <<-----2012、06月17日(日、8時)----------
オプションツアーの第一/ホテル近く迄迎えに来る。らしい。しつかり認識していない。
俺以外は何処へ行くか知っているのだろうが、おれは、「何処か」へ行く程度。
確かホテルに入り、荷物がついていて、そのまま、下に降り、待つ。
旅行に出る前、パンフが有った。そこのオプションで、色々有った様だ。
だが、俺は、「真珠湾」を探して見ただけ。それ以外のツアーだ、見てない。ー------------
車の中、眠気を誘う。が興奮も有り寝ない。何のバスだったかしっかり覚えて居ない。
ただ、前の方に座った。運転手は、「小錦」のいとこだった。と、案内は言った。
只、横サイズがあると言うことで、「日本語」は「すこし」だ。
バスは運河沿いを行く・・運河はボートが練習中だった。
ガイドが質問した「私は何人か?」と、俺は、「日本人」を選択した。正解だった。
北海道生まれらしい。その人に、「日本語素晴らしい」と、言えば怒られる。
要するに、ハワイ人で無い。学生だ。国際交流の一種の様だ。
少しはルートを説明していたが、おぼろ。
車は相当走ったのか、それとも俺が寝たのか、覚えが、うつろだ。
眠い中、駐車場に着く。盛んに帰りを説明する。乗り遅れたら、一人で帰れと。
少しずつ認識するが、此処はハワイセンターでなく、ポリネシアのセンターである。
運営は学生である。まとめると、南太平洋の学生センタだ。
そう言われれば、学生の雰囲気で若い。写真に写る人が何人にしても若い。初々しい。
列の案内の子、誰かのリクエストのウクレレに恥ずかしがる。テーブルの片付けも学生ポイ。
食事は、バイキング。そう食べれない。
食事後、買い物タイム。何故か、写真が無い。まあ、金が無い精だ。
買い物の後、ショーだ。これは、写真を控えた。
真面目さは感じる。ただ、それ程の感動が無い、皆が褒めるから却って「青さ」が目立つ。
当然見かけ上は「乗り」である。拍手。で感謝。
キン肉マンばかりだ。其処にロマンがあるというストーリで有るようだ。火のダンスは見せ場か。-------------
帰りのバスは「行き」のガイドは居なかった。大きなおばさんが居た。
これが帰り道、英語で二人で会話していた。日常会話の様だった。
真夜中の帰り道は行きより長く感じた。殆ど寝ている。そこに英会話が解らない。
地道から、フリーウエーまで長い様に感じた。ホテル着は、十二時を超えて居たと思う。
夜景が見えた。町はまだ明るい。 -------2012年06月へ
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----/h20120617c_09a.html,ホテル、朝、20120609
-----no.7765 <<-----2012、06月17日(日、8時)----------
夜が開けた。ホテルを認識する。朝日が上る、否、まだ日の出前か。が明るい。
それに、町は寝たのか徹夜か。外灯が爽やか。--------------
取り敢えず「海」が見える。だから、そう悪い部屋で無い。左手のビルのむこう、
あれ「ダイアモンドヘッド??」そうらしいー-------------
窓だが、どれも10センチ程だけ開く。真下が見たくても、それは危険だろう。
相当高い。部屋番号が35??だから35階の様だ。芝生も見える。公園だろう。
後からの認識で、隣りが公園が有り、其処にテニスコートもあり、郵便局も有り、
そして、海岸べりに「軍記念館」も有った。此処へは、帰りがけに寄る事になる。
その前迄、三、四回歩いた。それでわかってきた。トロリーバスで廻る時、
「戦車」を見た、当然展示用だ。それが此処だとは知らなかった。
見たとき是非行きたいと思った。でも遠い所で、何とか訪ねようと思った。それが、
後で、歩いて10分の所と分かる事になる。ー----エレベータは6台、二種類ある。低い階用と高層階用だ。----------
外に出て、少し離れてホテルを映す。相当高い建物である。
部屋はクーラがある、使わなくても良い程度だが、盛んにつけたがる人が居る。
歯磨き、櫛等は無かった。が、隣りのビルは、ABCストアーで、此処で買えと言う事らしい。
ABCストアーは至る所に有った。水はH,Cがあるが、この調整に慣れないものだ。
石鹸は有った、がこれも慣れない。テレビも良く解らない。--------2012年06月へ
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----/h20120617d_09b.html,農家市場、ダイヤ、20120609
-----no.7765 <<-----2012、06月17日(日、8時)----------
トロリーは町だけで無い。ダイヤモンドヘッドへ。そもそも、ダイヤモンドHとは何か。
ダイヤが採れたとも思えない。この名前相当前から聞いているが、未だに不明だ。
そこへは、トロリーが有るが、本数が少ない。市場がある。そこへ行く。
市場へ??買い物か??----------
トロリーは相当、登った。快適な空気である。家並が余裕を感じる。一軒が大きいし個性もある。是がアメリカだ。
この山、地形的に考えると面白い様だが、そんな事だれも言わない。
ワイキキビーチの借景でしかない。40ーー50軒のテントの店。
5人で買い食いする。バラバラだがそー広くない。で出会う。一口貰う。それで充分。
-------------ここでも目立つのが、日系だ。苗字は日本、でも、英語しか通じない。
初期の人は、農家で入る。そして成功して、今も農家という人、その子孫。-------
隣りに植物園があり、時間的に見てない。駐車場も上にあり広そう。
ハワイ大学があり、その関係だろう。トロリーバス停の前に建物。元体育館だろう。
教会かと返事してくれたが、体育館だろう。そこで気になったのが、そこのトイレ。
男女共、一人分しかない。それが6畳位の広さ。それで何とかなるのが、アメリカだろう。
地元の人のマーケットか、それとも観光客でも通の人用のマーケット。
日本語も「少し」通じる様な所だ。帰りも本数が少なく、早めに並んで快適。
俺はウロウロだが。まあ、家族旅行に感謝だろう。--------------
トロリーに乗り、冷房の必要を全く感じないそれが、ハワイの良さなのだ。
------------この時、現地のTシャツだ。何時買ったっけ。-----2012年06月へ
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----/h20120617e_09c.html,又買い物、迷子、20120609
-----no.7771 <<-----2012、06月17日(日、10時)----------
ダイヤモンドヘッドから街に戻る。すると又、買い物を始めた。俺無関心。
で、店の外へ、鳩と待つ。否、鳩は待っていない。何か食えるモノを探すだけ。
こんな街角、でも植物が有りいたるところに動物がいる。
買い物袋を下げなんか買った様で。土産物屋だけでなく、
こんな街角でもう少しまともなものを探そうと頑張って居るのだろう。
少しボーッとしていた。そしたら、みんな居ない。おお!迷子だ。
ホテルのロビーをウロウロ、居ない。カウンターも一人何とか日本語出来る人。
俺、部屋の開け方も解らない。恥ずかしながら、何とか教えて貰った。
カードは「入れて直抜く」と教えて貰う。入れっぱなしで開かない
一人旅行ならそれなりにしっかり行動する。が、団体旅行なら何処かへ行くのは家族しか解らない。
当然、ホテルの誰も知らない。最悪、ホテルで、帰り迄、二、三日居れば誰か帰ってくる筈。
そんな状態まで、考える。------------
否、式があるから、それまでの辛抱かと思い直す。
ダスキンホフマンの映画「卒業」で、花嫁を奪うシーンが有った。それを思う。
式の教会へ、式の途中に「花嫁」の父親が何とか駆けつける。
花嫁はそれに感動する・・・教会の場所、そこまでは、何とかしらべられる。
例えば「教会迄行ければ」何とか日時も調べられる。妄想は果てしない・--2012年06月へ
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----/h20120617f_09d.html,パレード、QUeen、20120609
-----no.7771 <<-----2012、06月17日(日、10時)----------
部屋に居ても仕方無い街へ。パレードが始まっていた。先ず、馬がいいと思った。
これも、道が綺麗で広いから。それに空の青さは勿論だ。だが、何と言っても人が良い。
QUeenが続いていた。馬で近寄りがたいが、そお見ているばかりでは、勿体ない。
道路に出よう。大きい顔はMissTeenハワイだ。可愛い。笑顔が素敵。
この子が一番だと思った。美人も多いが、澄ましていると冷たい。
女は15位から18位が一番良いと思う。QUeenは多分20才以上だろうか。
みんな楽しんでいる。いいね。馬の行列の後は、当然乍、馬の排泄物処理の人が続く。
そして、道は綺麗に戻る。ダンスの連中は昨夜のポリネシアの若者達の様だ。
こちらのほうがシンプルで良い。それは、星空の下か、青空の下かだが、
当然「青空」が明るい。ハワイは青空。「MissTeenハワイ」の予備軍が集団で居た。
可愛い、ハワイは良い。--------------
是は後の感想だが、浜辺で一番目立つのが、「15前後の女の子」
二十超えた日本人は余り似合わない感じがした。------------
吹奏楽団も4,5見た。やはりどう考えても、こちらが似合う。
音は知らないが、歩く姿が良い、そして、空の借景でどうしてもハワイが一番だと思う。
多民族だろうが、それもルールが有り、その上、みんな楽しんでいる。
良い。(中国なんかと比較したくなる)--------序ながら、この時、半ズボンだ。この前に買ったんだっけ。迷子の時。
之で、俺もハワイ人。否、帽子は古い。---------2012年06月へ
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----/h20120618a_09e.html,空港へ、to Maui、20120609
-----no.7771 <<-----2012、06月17日(日、10時)----------
パレードの最後の写真から1時間半後にもう空港に居た。
この間に、迷子状態から、脱失し、部屋に戻り、更に、ズボンを変えていた。
その上、空港まで移動していた事になる。そのあたり、記憶が薄い。
確か、「寒い」から、「長袖で」と言われた様な気がする。
長ズボンに替え、靴下をバックに入れた事は覚えている。ハワイアン機を空港で待っていた事は、良く覚えて居る。
「夕日を見に行く・・寒い・・」は、薄々知っていた。
この時は5人家族で、飛行機は俺が、子供っぽく、窓側の席を要求した。
子供たちは大人になっていて、「文句を言わず」了解してくれた。
相当後の席で、エンジンが後に有る機体でその前の席。
後の列の外人の子供が、英語で、「エンジン邪魔」と言う様子だった。
だって、後の席では、窓からは、エンジンしか見えない。
(おっと、俺が外人だから、白人の子を呼ぶのに「外人の子」では、おかしいか。)
左手に島の列が見えたから、北に飛んでいると思う。後で、また調べよう。
マウイが何処かを・・30分は飛んだか。近くだから、高度は上げないらしい。
が、充分高い。と言うか、丁度良い。町が、山が見える。
-------(17日に完成できず、18日朝また書き出す)---------
ハワイが、一ツの島でなく、複数の島の集まりが、この飛行でわかる。
(少しずつ、ちがうのだろう、カメハメハが統一するまでは「島」が「国」だった。)
風力発電が見える。高度が少し下がり出した。確か、ハワイには、原発は無い。
(観光地だよ)この島、偏西風が吹くらしい。いつも風が吹く様だ。さあ着いた。----------2012年06月へ
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----/h20120618b_09f.html,車に乗る、、20120609
-----no.7782 <<-----2012、06月18日(月、8時)---------- ---又、思い出しながら---
空港の一階に移る。この写真を拡大すると「MAUI」に来たことが分かる。
十日も前の事を今確認している。(おまかせ旅行だ)空港にHISの係りの人、
この人の案内で駐車場へ。携帯で車を呼ぶ、まもなく車に乗る。
この間、「風が強い」。何時もの事、この島の特徴と云う。
写真で、風の強いのがわかるだろうか。木(やし?)が飛びそう!!----------------
車に乗る。乗ったのは、ウチら五人で二列。親子の三人、夫婦ともう一人の女の三人
計十一人。当然「運転手」も。この男が、今回のツアーの最大の収穫かも知れない。
少しずつ、「紹介」したい。韓国生まれで、日本人と結婚、7才の子供が居る。//また書こう
取り敢えず写真分だけ、述べたい。「低地で余り写真を撮るな。。
高地で電圧が下がる、取れなくなる。」と言う。3000メートルの世界を話してくれる。
唾を飲み込み、高度が上がる事を実感する。高山病予防と言い、何回も泊まる。
高原に泊まる、暫くすると「しろ(白)」が来た。しろは馬だ。ゆっくり歩いて来る。みんな、友達状態になる。
馬も、俺たちを友達と思うようだ。どこにでも有る草を取ってだすと、喜んで食べる。
頭を下げて草を食べるより「友達」の草がうまいのだろう。
此処等辺で1000メートルだろうか、だれも馬に噛み付かれず、又、車にのる。-------
次は、「スーパ」と言うか、土産物屋と言うか、ドライブインと言うか。
ここでも、ゆっくり。「運転手」に付いてだが、手帳に写真があつた、可愛い子だ、野暮な質問をした・・
「可愛くて・・今でもお風呂は一緒ですか??」と、忙しくて出来ないらしい。
仕事は4時から深夜までだ。そういえば納得。毎日、引っ張りダコらしい。
やすみが無い。知識が深い、「天文」「高山医療」「写真」は、まあ当然といえるか?
この関係で、ツイッターにも盛んらしい。その上「恋愛」も詳しい。「できちゃった婚」のようでもある。
(カメラの電池が減ってきた、此処でカメラを変えた)夕日を見に来たのだから、そこが撮りたい。---2012年06月へ
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----/h20120618c_09Oa.html,火口まで、、20120609
-----no.7782 <<-----2012、06月18日(月、8時)---------- ---又、思い出しながら---
車の移動中カメラをオリンパスに替える。又、小休止.3000メートル近いか。
すると、俺自信の最高標高.笑い乍だから、それも感じない。 時々、唾を飲み込み、小休止して、少し動く。これも、大事らしい。
下界は雲で心配しても、雲の上は当然晴れ。植物はコケ類草類程度。
水があるの?ある、雨は下から降るから、水分があると聞く。
トイレの前でころがっているのが、カメラマン、否、運転手、
否、天文学者・・俺も撮ってもらうが、俺のカメラで無いから現在は無い。
此処で相当運動する。ペアで写真をとる、カメラマンの要望が多い、
二人で、太陽を抱くとか、捧げるとか、太陽を指差すとか、目線まで、注意が入る、
指先までも言われる。芸術になると言う。多分、「額」付き写真になるだろう。
此処でしかとれない物が有るのだろう。空気が違う.標高の高いところでは
(確か、0.7気圧と言っていた)写真の最後の部分が、
この山が、火山である事を照明する。火口を覗く、うまい写真が無い、
雄大過ぎて撮れない。みんな「すごい」「すごい」と言うだけ、
その他の表現が出来ない。「ああ火口、ああ火口かな、ああ火口」風が強い。
緑も有るが、自然は間違い無い。火口の外に駐車場とトイレがあるのみ。
殆ど日没、7時頃か、日没の前後で、温度は変わる。何とか、この格好でも耐えれる。-----2012年06月へ
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----/h20120618d_09Ob.html,星から帰る、、20120609
-----no.7788 <<-----2012、06月18日(月、11時)---------又、思い出しながら---
扨、山頂だ。太陽が見える内は、まだ寒さも耐えれる。只、借り物のダウンを着ている。
日没は五分位か。この間、寒さがます。手を出すのも寒い。足はガタガタ。
頭もカバーし、それでも寒い。頂上に30分も居ないだろう。車に入る。
暗くなれば、人の居るべきところ出ない。相当降りてきただろう。
それでも、ダウンのママ。外に出る。上に星が。。高度の生か、余り瞬かない様にもおもえる。が、数が多い。ホントはこれだ。
写真にはないが、星座講習が有った。北斗7星が主役の様子。
そう言われて、北極星、北斗は低いか。土星も見た。見たのは輪だ。
人口衛星も見た・・動いて居る。ただ、流星は見えた人と見なかった人が居た。俺、見なかった。--------
ハッキリ言うと「行かないと解らない」写真では表現出来ない。
星を撮す講座が長時間有った。カメラの良いのが居る。ー--------------
真夜中の空港で、「名残オシ」ながら別れた。真夜中の飛行機に乗り、
真夜中の空港に帰り、真夜中のホテルに着いた。-----------
書き忘れた事は・・晩餐は「弁当」に割り箸・・充分。缶のお茶は、熱々でモテない位。
車は強力だ。3000メートルを十二人を載せてスピードは80キロは出していた。
道は良いが、ガードレール等無い。慣れればそれで良い、車は遠くから存在が分かる。
町の車、道路でない。未や、ウシや馬の世界に、人間が居る感じ。----------2012年06月へ
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----/h20120618e_10a.html,気になる木、、20120610
-----no.7788 <<-----2012、06月18日(月、11時)-----------又、思い出しながら---
夕べ遅くても朝は早い。いつもの朝だ。(オイオイ此処何日目?)
早めにホテルのロビーへ。此処で集合。ツアーの車に乗る。
ガイドさんは、家族でまとめようとする。俺「仲の悪い家族だから、別々でも良い」
というと、相当受けた。客は殆ど「日本人」と分かる。30分も走ったかな。
最初に着いた所は、「この木何の木」「気になる木」日本人だけにしか解らない観光地。
似たような木が多く有り.あまり「気にならない木」それより、廻りが気になった。
運転手さん、スタイル良い。紳士タイプ。が日本語は「少し」状態。
客は日本人ばかりの様で、そんな行動がする。写真を撮り、土産物屋へ。
ルートがOnePatarn。私の「変な」行動は、ガイドさんに嫌われそう。
早めにバスに行くと、たばこを吸っていた。少し聞く。
「日本出身、シカゴに居て、ハワイは8年前、結婚、で、今はハワイ人。
喋り方は、「名詞」で一旦止まるので、意味がわかりやすい。
このツアーは「ノースシェアー」。つまり、北海岸。「North Share」で、
このthとShaは子音だから発音しない。すると「ノーシャ」と聞こえる。
それとも、thなんか発音しない。まあ、ネーテブな発音に近いのだろう。
写真は影で見えないが、赤毛の、赤いムムーの女。何処か、上沼恵美子を黒くした感じ。
もっと若い。喋りでそう感じたので、顔は美人としておこう。盛んに写真を撮ってくれる。-----
其処に着く前かあとか。真珠湾近くを通る。車からは見えない。が、雰囲気はわかる。
廻りの山は高くない。見張りが居れば直、発見出来る。「奇襲」と言うより「想定外」だろう。----2012年06月へ
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----/h20120618f_10b.html,北海岸、、20120610
-----no.7792 <<-----2012、06月18日(月、13時)---------又、思い出しながら---
旅は続く。バスは国道から離れ、田舎道、だが、当然広い。
着いた所が、パイナップルや。もう残ったのは、ここだけと云う。
植えるのに人件費が係り、成長が悪いから、ここだけとか。
土が赤い。木も赤い、匂いをかかせる。それより、景色が良い、広々とした所に、
星条旗が、ハワイ州旗がにあう。帽子を探し、Get。36ドルだった様だ。
まあ、之で揃った。日差しの中を歩ける。序に写真もずーずーしくお願いする。
上品な店だが、高い商品のとこは、売り場も上品。-------------
パイナップル屋は、つまり「デル」。DOLEだから、ドルか、DELLはコンピユータ屋か
帽子以外買うものないから、おれは外で待つ。土産買いが終わる頃、出発である。
何も見ないで、土産が買えるか。迷路もあるらしいが閉店。正面から左手の岡に、建物。
工場にしては綺麗すぎる。研修室では大きすぎる。黄色と赤の花の列。
緑の芝生、青い空、白い雲。絵である。芝生に、ベンチがあるが、何故か濡れている。
水をまいたか、朝露か?-----------
バスは進んで目的地。歩き、泳ぎ、見物。歩いても、泳いでも、時間が短い。
殆ど見物。見物と言っても、買い物。ガイドが盛んに言う「トイレが無い」と。
又、アイス屋が込むとか。そんなものいらない。ー取り敢えず、帰りのバスの時間迄、此処で過ごすのだ。--2012年06月へ
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----/h20120618g_10c.html,北海岸、教会、20120610
-----no.7792 <<-----2012、06月18日(月、13時)----------又、思い出しながら---
アメリカ本土の西部の砂漠を連想する。暑いし、(帽子は買ったが)
10日は日曜である。教会がある。「welcome」とよめるし、ドアは空いているし。
中へ。座り暫くいた。天井で羽根が回っていて涼しい。暫く居た。
残念な事に「英語」が分からん。説教が理解できない。建物の壁は、岩を積み上げて居た。
クロスは後から、光が当たって居た。プロテストの教会だ。連れがデルと言うので出た。
墓を見た。日本の墓もある、「明治三十六年  釈?信童子」と読めた
それだけ、全く想像もつかない。立派な墓である。後の物かも知れない。-------------
海を見たかった。暑い中、歩いた。ほんの百メートルか二百メートルが遠い。
ハワイは歩くとこで無い様だ。河まで来た。ボートハーバーとある。
筏のような、サーフボードのような.そんな物に乗って、櫂でこいでくる。
其処に、カメが見える。時々、顔をあげる。ー------------
スーパがあり、養鶏所があり、その前で、野生の鶏が居た。
又、駐車場の隅で、ごみの分別をしていた。要するに、田舎町としか見えない。
買い物は無い。だから、バスを待つだけだった。]
歩きと泳ぎの人を拾って帰ってきたので、乗った。少し疲れたが、休めばもどろう。-----2012年06月へ
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----/h20120618h_10d.html,北海岸、帰り、20120610
-----no.7798 <<-----2012、06月18日(月、13時)----------又、思い出しながら---
帰りだ。南下。ほぼ、往復だろう。ランチは午前中に注文が有った。
蛯と言うと、ロブスターのイメージがあつたが。日本の蛯と同じ。
飲み物も単なる缶。食堂をイメージしたが、単なる飯バス。
空き地(砂場)にテントをして、椅子を置いて。水も何とかちょろちょろ。トイレは、移動簡易式。----
このツアーは二台のバスだった。それを意識したのが、このテント。
此処で同時となるから、込む。落としそう。注意しながら、流し込んだ感じ。
写真は「びっくり」の俺である。ガイドさん、ここでも盛んに、記念写真に応じていた。
車の前に家族で並べば「写したゲル」という。俺、遠慮した様だ。
前からだが、このあたりで、ガイドさんに「おかしなじいさん」と思われている。
余り感動も無いものを食い、それを記念にすべきか迷う。
アイスでも欲しいが、食べない方が健康だろう。一般の車も居る。
大きい車があり見ていた。解らない英語で聞いたら、向こうもわからないまま答えようとしてくれた。------
食事の次は、ウミガメの甲羅干し。ウミガメは人間を恐れない。
「騒がしい人間だ」と思うだけの様子。触れない。
「Care For The Turtle」と読めるし、「Green Turtles(Honu)」とも読める。
この海岸、水泳はしない様だ泳ぐと、カメと競争になるだろう。
当然、人間の負け。ガイドのねーさん、ここでも盛んにシャッタを押してくれていた。---------------
亀さんの顔余り見なかった。泣いていたかな。---2012年06月へ
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----/h20120618i_10e.html,北海岸、帰り2、20120610
-----no.7800 <<-----2012、06月18日(月、18時)---------- ---又、思い出しながら---
ウミガメ海岸を見た後。又、海岸である。単なるトイレ休憩だったか。
海岸を歩いたのは覚えている。ここは泳いで良い所だろう。
泳いでいる。ただ泳ぐだけの時間も無い、気力も無い。そこをで、車窓だが。
風車があり、モルモン教の町があり、ポリネシアンセンタも有った。
既に来たが、道路から見て改めて知る。その上、又、土産物屋に寄る。
試食、試飲、飲み放題という、ソー、コーヒばっか飲めない。土産物に関心無い。
ネットの農場は有るが、当然ビニールハウスは無い。
木彫りの像もあるが、これなんか観光客の為のサービスなのだろう。
ガイドさん、この前で写真は??と、「Noサンキューである」
ナッツもいろんな味付けが有るようだ。考えている。只、此処からの山並みは美しい。
映画「ジェラシっくパーク」のロケ地も有った様だ。恐竜がいなくて良かった。
見てない人も居るだろう。之で終りではホテルへ戻る。-------2012年06月へ
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----/h20120618j_10f.html,日本、??、20120610
-----no.7802 <<-----2012、06月18日(月、18時)----- ---又、思い出しながら---
ホテルに帰った。又出かけると言う。クルーズだと。部屋で、外を見て、カメラのズームのテストなどする。
外へ早めに出て、待つ事が良い。部屋は狭い。----------------
昨日に続き、今日も祭り。だが、ちょっとついていけない感じ。紅白の幕と提灯。。
あれ日本へ帰ったかな・・それとも中国???ハッキリ見ると、これは日本では無い。
日本には、こんな明るい空は無い。「義理と人情」が全く無い。着物を着ているだけ・・着物の着方もおかしい。
青空の下で、胸元を閉めろと言ってもダメだろう。日本人の俺には、少し気分が悪くなる。
是を見ても、これが日本だと思わないで欲しい。日本へ来て本物を・・・否、日本にも本物は、何処にある。
京都のもマトモと言えるか、京都の一日舞妓も、是と同じ様だ。
日本は無くなった。せめて箸だけでも元に戻したい。浴衣がずれたような着方は
おお、嫌だ。顔が白人ほいのはまだ許せる。東洋人顔はやめてくれ。
帯びをキリリと占めても、蒸せて五分が限界だろう。-------------
菊文が有った。歴史が有る様だ。読む「大國多摩神社、  府中市、東京、日本」
感じにするとそうなる。毎年やっていると言う。調べる価値有ると思う。---------
島田に稲のかんざしが好きだが。誰か、もう少し何とかしてくれ。俺、ヌーケタ。-------2012年06月へ
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----/h20120618k_10g.html,クルーズ、a、20120610
-----no.7802 <<-----2012、06月18日(月、20時)------ ---又、思い出しながら---
迎えが中々こない。-そして待合場所が、通行不可になる。-この船は、日本人だけで無い。
英語と日本語で「遅い」「TooLate」が、飛び交う。英語がわからないが、そう理解した。
夕日が沈む、それでは遅いとおれも言う。案内が来た。だが英語である。
「English,Very Very Little」本土から来た夫婦者が笑っている。
それでも、案内されて、バスに乗る。この日も、祭りで、運行車線が変更されていた。
--------------町を抜け、港に着く。此処で娘に逢う。一週間振り共思える。
こちらはデルタ、あちらは、JAL。之で6人となる。記念写真を撮られて乗船。
これが、船内で処理される。直ぐに売りに来た様だ。------------
双胴船だし、波は静か出し、二皿位食べて、ロブスタがでる。剥いて貰うと、スポーと向ける。
胴は「no eat」と言われてしまう。ダイヤモンドヘットが見える。
東の方だから、そのむこう迄行きそうすれば、ダイヤモンドヘッドに夕日が落ちるのが見える。
町のビルも西日になってきた。貨物港も見える。ほかのクルーズの船も有る様だ。
だが、こちらの方がスマートだ。伊勢湾のっクルーズも乗りたい、どっちが静かか??
町はビルの向こうは民家か。町を見るには、海から見るとわかるかも??
町は「海」から見るものかも知れない。夕日には余裕の時間だ。ワイキキで歩いて居る人までは見えない。---2012年06月へ
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----/h20120619a_10h.html,クルーズ、hawaii美人、20120610
-----no.7806 <<-----2012、06月18日(月、20時)--------- ---又、思い出しながら---
クルーズである。ハワイ美人である。白人系、日系・・美人が多い。
がハワイの美人がこれか。美人も年を取ると、ブクブク太る様だが、
この子はまだ若い、演出もあろうが、美人である。この旅の知識だが、
髪飾りの花が良い。花の位置で、「既婚」「未婚」がきまるらしい。
酔いしれて、「左右共着けない事」と聞いた。間違っても、てっぺんには付けないように。
もう一つ序だが、ハイビスカスはハワイは黄色だと言う。
この子は白い花だが、それも良い。ギターのお兄さんも、いい声だった。
じっくり観賞すべきだが、貧乏性の俺は、外の夕日も気になる。
室内では、ディナーが進む。外も見る。そろそろ日没。
妻子を日本に置いてきた男が居る。盛んに、夕日を撮っている。
どうもカメラに慣れてないのか、セットが合わない様だ。
日頃は忙しく、カメラの勉強など出来ない様だ。それも仕方ない。
カメラの趣味は定年後の俺でも、まだイマイチだ。
乗客の美人立ちも、自然の美を見に出てくる。自然の美は、毎日変わるだろう。
雲が変化しながら・・・地平線に沈む夕日。先日、雲海に沈む夕日を見た。之で、充分「見た」。----------
「ハワイは素晴らしい」と、よく聞く。中には、二十回以上来たと言う人も居た。
年2回ペースだという。日没は日没でしかない。日本の「夕焼け小焼けの赤とんぼ」も
良いとかんがえる。が、日本の自然は、残っているか??
俺、ハワイの良さをもう少し考えたい。-------日が沈むと、ディナーは宴会に変わる。-----2012年06月へ
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----/h20120619b_10i.html,クルーズ、お開き、20120610
-----no.7806 <<-----2012、06月19日(火、7時)------- ---又、思い出しながら---
クルーズも終盤。日没後、まだ少し明るかった時々、外に出た。暑くなく、寒くなく。そう考えるとハワイは良い所。
我テーブルは、パンのおかわりをしている。無料に勘が強い。
この船、ペアが多いと思うが、家族ずれも勿論あるし、
金持ち?おばちゃんも居る。だが、ペアが殆どだろう。だって、ロマンチックなんだから。
だが、夜がふける前の、「バカのフラ教室」が有った。
これは、クルー、つまりウエートレス達の推薦のようだ。
各テーブルの乗りやすいタイプを連れ出す。部屋の中に俺が写っているのは、
俺の撮影ではない。この時、カメラを取り上げられて居た。
家族は、他人のような顔をして、撮って居たのだろう。後からのコメントは「一番、
現地人に近づいた」だった。英語はできなくても「心」だよ。
此の後、各ペアのダンス。そして、何故か秀樹の「YMCA」。
是って、アメリカまで共通か。全員が、「YMCA」を踊るから、当然、写真はない。
(この辺、前に書いた気がする)。真夜中では無いが港に着く。
「YMCA」を踊って居た時、写真は商品に変わって居たのだろう。
バスで町に戻る。買い物好きには、コレからが勝負タイム買い物なしに夜の町は疲れる。
海岸は少し怖い。で、ホテル内でウロウロ。善良な市民は家でくつろいでいるはず。俺はそれに近い。---2012年06月へ
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----/h20120619c_11a.html,朝、散歩、20120611
-----no.7812 <<-----2012、06月19日(火、9時)----- ---又、思い出しながら---
朝、俺は早い。今日も晴れ。(ハワイは何時も晴れ)。で、散歩。
海岸迄、下に見える道を2本渡れば公園。公園は、広場。で、
ちゃちな遊具のような所では無い。海岸に残った芝生は嬉しい。
芝生は、朝、水撒きのようだ。雨が少ないから何時か水撒かなければと思って居た
これも、のどか。勝手にまいてくれる。水に濡れない様に通る。
海岸手前、ビーチバレーコート。ごく自然。普通のバレーコートにしても、
風が勝手にビーチバレーにしてくれそう。公園の中程には、テニスコートも有った。
海岸に着く。砂がきれいである。海藻とか、貝とかが無い。模様があるが、鳥の足跡だろう。
これが、くっきり。乾いた感じ。ランニングシャツのこのスタイルは、現地人に溶け込む。
良く挨拶される。何を言っているかわからなくても、挨拶だとは分かる。
俺としては、やはり「GoodMorning」だ、「アロハ」では少し観光客になってしまう。
ハワイ住人もどきとしては「Gooモ」程度の言葉。その上、腕の屈伸や、振りをすればもう完璧。
全く居ない人から、数人に増えてきて、で、そろそろ帰り出す。
帰り出すと、他のホテルに紛れ込む。境界がハッキリしない・・否、英語を読まない・・
公園内に建物が静かにある。読むと「ミリタリポリス」と読めた。
要するに「MP」だ。これは俺位以上の年は良く分かる筈。又読む。
「アジア太平洋センターforせキュウリチースタデー」と読める。そう言う場所何だ。
後の事だが、「軍事博物館」もある。------2012年06月へ
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----/h20120619d_11b.html,正装、出、20120611
-----no.7815 <<-----2012、06月19日(火、13時)-- ---又、思い出しながら---
散歩から帰り、正装である。我ながら、「ステキ」ホテルのロビーで待つ。
待つ事は慣れたか。正装を少し説明する。この日だけのために、
靴とズボンを持参した。白いハンカチも、捨てたく無いのは、これぐらい。
否、ハンカチは、ダイソーの物だ。上着は手に入れた。おまけで、レイも買った。
之で、単なる出席でなく、「花嫁の父」だと、風格が着いた。
と思ったが、長男も買っていた。次男が、タクシーを予約して、
運転席の隣りで喋っている。帰りも頼んだようだ。頼もしい。
私なら、人に頼むか、それとも歩いて帰るかだろう。「場所は、セントピーター教会」
着いた。が、俺は隣りの教会を歩く。「セントアンドリュー教会」だ。
この辺セントアンドルーが占めている。教会は勿論、小学校も中学校も、何とかセンターもみんな。アンドルーだ。
只、この教会は一部「立入不可」の柵がある。ぐるりと廻る。
イギリスのようにも感じた。文化財に近いかも知れない。
王族の結婚式はこちらだろう。この日は月曜だが、休日。ハワイだけ。
カメハメハ大王の記念日だ。学校も休みで静かで落ち着く。が、一方、学生も見たい気もした。---------
こんな時関係無いが、ガソリンスタンドがある。レギラー、とプラスと、スーパが有る様だ。
427、437、447の数字の意味は解らない。--------大きなビルがある。近いのだろう。
花婿の一家も到着。後は、胴長車を待つ。---2012年06月へ
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----/h20120619e_11c.html,リハーサル、、20120611
-----no.7815 <<-----2012、06月19日(火、13時)------ ---又、思い出しながら---
花婿側と花嫁側と挨拶していると直に、胴長車が着く。「式の時、写真はダメ」と
言われていたが、後は、何をやれとも、やるなとも聞いていない。
車から降りたサングラスの「お兄さん」、この人写真を拡大しておく。
サングラスはハワイでは常識、教会内で取ると、笑い顔が良い。日本人の気の良さを持っている。---------
式の前のリハーサルが始まる。写真で、此の後、暫く空白の時間が有るので、
この範囲の写真が、式の前となる。顔を撮るのが、式だろう。撮った。
が此処では控えた。身内の者の顔は殆ど解らない筈。掛かりの人の顔は敢えて出したい。-------------
言い過ぎかもしれないが、敢えて言う。花嫁のネックレスだ。
是、相当なものらしい。相当では「俺には想像は出来ない」
どうも、花婿の家の家宝に近い物らしい。式が無事に済、その後、
間違いなく返して欲しい。そお言うものは、俺は近づかない。(その点は、無事、済んだ様だ。)-------------
俺も教えて貰った。「「歩き」は普通で良い。前迄きたら、例をして、押し出す。
その後、席に戻るとき、長い裾を踏まないこと。」だった。
今まで俺だけの秘密だったが、白状する。裾を少し踏んだが、・・だって相当長く、
席へジャンプする事も出来ないし。つい・・誰も気づかなかった。---2012年06月へ
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----/h20120619f_11d.html,おめでとう、、20120611
-----no.7815 <<-----2012、06月19日(火、13時)--- ---又、思い出しながら---
写真OKとなって良い写真が無い。そんなもんさ。皆さんのおかげで、無事できました。
エスコートの時、一言だけささやいた。「良かったネ」「うん」--------------
良い写真が無く、拡大したらぼやけた。御免。--------------
こんなのがいいのだ。つまり、自然だ。無理が無い。写真はもう、花嫁より、自分を撮ろうとしている。
そして、その前を横切る。そこらが自然だ。プロのカメラマンが、綺麗に撮ってくれる筈だ。フツーに。
一世代前は、中々、笑い顔は無かった。今、俺は、「花」でも撮る事で、
和んでいる。歌も良かった。オルガンも良かった。牧師さんも、英語の後で、
日本語をしてくれて、良かった。----------------
序ながら、新郎、新婦は、英語でサイン、両父親は感じだった。
俺は近眼の眼鏡を外して見ながら書いた。写真を撮られていたので、格好悪かった。-----2012年06月へ
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----/h20120619g_11e.html,花シャワー、、20120611
-----no.7820 <<-----2012、06月19日(火、15時)----- ---又、思い出しながら---
フラワーシャワーの方法をご存知ですか。二人の上の一点を目指し、廻りから花ビラを投げる。
旨くいったかどうか。結果をまだ見ていない。
やり直しはしなかったので、うまく行ったのだろう。--------------
此処で、教会の内部をしっかり写しておこうと思い、中は、次の組みが、もう始まっていた。
人気の「ハワイで結婚」と言う事だ。教会の出入り口は、鉄のドア。
まるで檻から出てくる感じの写真になる。それにしても、「浮かれた男」が居る。
文句は出ない。俺の撮影では無いが、誰かが、撮ってくれた。
その人は、もっと真面目な写真を撮ろうと思ったと思う。
が、こんなんで御免。此処で気が着く事がある。御両親様は花のレイをしている。
新婦から貰った。「有難う」「幸せに」---------
話が外れるが、教会の前に前から車が駐車して有った。「ムスタング」と読める。
が、汚い。「セダンで無いからこんなモンだ」と教えられた。
ハワイではそんなもんさ。全体で見ても、汚い車が多い。
逆に、「日本」が綺麗すぎるのが、異常とも思える。-------------
これからは「晩餐」で無く、ランチへ向かうが、俺らのタクシーは少し時間が懸る。----2012年06月へ
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----/h20120619h_11f.html,移動、ホテルへ、20120611
-----no.7826 <<-----2012、06月19日(火、16時)------ ---又、思い出しながら---
移動のタクシの時間迄少しある。流しのタクシーは断った。
道路を渡りそこから、教会を見てみた。素敵な教会。庶民的で、庶民の神様がいそうである。
(ムスタングはまだ止まっていた)その前に写真を詳しく見ると、
「センロラル インターメデェトスクール」[ CENTRAL intermediate school]
(intermediate=中間)子供の姿が見えれば小学か中学か高校かが分かる」
人の歩きは無い、約百メートル四方の敷地を一回りして、歩きの人は一人だけだった。
廻りは、住宅と中華街とダウンタウンの間の様子。生徒も多分、車で通学だろう。
一周して疲れた。教会で待つ。全員で、タクシーで移動する。
会場は海辺のホテルだ。芝生が眩しい。海が垣根の向こう。疲れて「ロビー」で待つ。
名古屋のおばさん、相当金持ち??と話す。未亡人で、相当な年だが元気。
ハワイが良いと云う。何回も、ハワイは来ていると言う。日本語で話していると、
それを感じて、またひとりのおばさんが加わる。俺と同年と言う、10日目だという。
これも、「ハワイが良い」と言う。いいのは良い。金が余れば・・・
その時、娘達が現れた。「ジャー」というと、「おめでとう」と言ってくれた。
その辺、やはり「日本人」ハワイ人には、無関心の様に感じた。----------------
次から次から、ウエディング姿が現れる。人気のコースの様だ。
只、もう少し待つ事になる。まだ、ランチに時間がある。----2012年06月へ
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----/h20120619i_11g.html,ランチ、ホテルへ、20120611
-----no.7826 <<-----2012、06月19日(火、17時)----- ---又、思い出しながら---
二人が着いた。カメラマンも一緒。後を追うがまだ始まらないらしい。
写真を撮るのかな。もう少し待つ。定時が近づき、少しずつ集まってきる。
泊まっているホテルより、相当高級。ロビーがすごい。
泊まる所と言うより、式場だろう。豪華。芝生の色が違う。
こんな感じの所は落ち着かない。靴を脱ぎたがるのが、日本人。
アレ、この子髪飾り、両方に有るが、・・そお気にしない。豪華で良い。---------
先ず最初はケーキだ。丸いテーブルを芝生の上へ、其処に、ケーキ。
これもシンプル。そして食い合っ子。実に、シンプル。これが、元祖のケーキ。
当然、後で、コチラにもお裾分けがある。乾杯の酒。二杯飲んだ。
花嫁の分が回ってきたので・・酔った。強い様だ。ケーキも丁度、食べやすいサイズ。甘すぎなく、旨い。------------
最も関心したことは、----------当然の事ながら----------請求書が、新郎にきて、それを新郎が払った。当然の事だ。
日本では、こんな場所で現金やカードは使わない。
新郎新婦は、大人であり、之で家庭も心配ない。そう言う物が、「結婚」だろう。
前もって、誰が払ったか解らない日本の披露宴は少し考えても良い。---------
お開き後、また、新たなカップルが現れた。--------2012年06月へ
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----/h20120619j_11h.html,タンク、閉鎖、20120611
-----no.7826 <<-----2012、06月19日(火、17時)--- ---又、思い出しながら---
前にも書いたが陸軍博物館。歩いたら此処にきてしまった。
是は「司馬遼太郎」が乗った戦車だ。写真から字を写す。
JAPANESE LIGHT TANK
OPEREATED BY A CREW OF THREE PROTECTED BY ONLY 1/2 INCH
OF ARMOR AND EQUIPPED WITH ONE 37mm GUN AND TWO 7.7MM
MACHINE GUNS ,IT WAS POWERED BY A 6-CYLINDER , 110 H.P.
AIR-COOLED DIESEL ENGINE WITH A RANGE OF 90-100 MILES AT
SPEEDS UP TO 30 MPH敢えて、訳さない。
当然だが、司馬遼太郎が載っていたと書いてない。「戦車隊は、生きて帰れない」
「棺桶」と呼ばれた」とかも書いてない。隣りのUSタンクと対戦すれば、
負けるのは当然だが、その時は、肉片が粉々に鉄板にこびりつく。
腕とか、足とか、区別できない棺桶である。「軽戦車」だが、日本には、
これしかない。この戦車は日本にない。
「ONLY ONE InWOrld」「Nothing In Japan」と、見ている人に喋っていた。
頷いて居た。「福田中尉が載っていた」とは中々言えなかった。------------
この博物館この日休みだ。ハワイは祭日、入れない。------------
この外の展示は、アメリカと日本を対比するように、なっていた。
隣りの「アメリカの「軽」戦車」が普通の戦車- 2012年06月へ
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----/h20120619k_11i.html,かめはめは、BUS、20120611
-----no.7836 <<-----2012、06月19日(火、深夜)--- ---又、思い出しながら---
細かい事が思い出せない。その後、合流して、バス停に居た。
このバス停はHISの市内遊覧とカメハメハコースの合流点である。
その上、市バス「THEBUS」とも合流する。此処から、カメハメハコースとなる。
俺の関心は「TheBus」の方にある。トロリーは一周して此処に戻る。-----------------
トロリーは一時間に一本。チャイナタウンとか、ダウンタウンとかだ。
要するに、町の西部だ。すると、真珠湾に近い。中心地から10キロと考えて居た、
だからここからなら5キロ位。??トロリに乗りっぱなしで
「変な日本語」で説明してくれる。それでわかる。わかるが覚えて居ない。
貿易塔がなんなのかも知らない。第一、ハメハメハは
「悲しい」人か、「すごい人」か、それも知らない。只、統一した人だけしか・・
此処で5分止まると云う。その間に写真を「どうぞ」という。
俺は人の記念写真を撮る所を撮る。この人達、ハメハメハに憧れて来たのか、
単に名前だけ知っている部類か。俺のカメラに俺が写る、俺を撮ってくれた。
記念になる。また何時か、ハメハメハを調べよう。(また多分、ハワイに行く時は)
時計が写る四時40分頃だ。そして、ショッピングセンターのバス停に戻る。
時間はあると云う、各々は買い物。俺疲れた。「TheBus」を見ていて。
声をかけて呉れた人が居た。日系の顔だが、英語だけである。
俺「アリゾナメモリアル」と言う。「40」と答えて呉れた。
つまり40番に乗れば行ける。後が全く会話が出来ない。俺の意思が弱い。
確かに40番のバスが来て、行先「AriZ Mem」の様に書いて有った。
花のレイを懸け、ズボンをスラーと来ている。ワケアリに見えるかも。
ひとり帰る。次の集合場所は聞いたが。---------2012年06月へ
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----/h20120620a_11j.html,海岸、迷子、20120611
-----no.7836 <<-----2012、06月19日(火、深夜)---- ---又、思い出しながら---
ひとりでホテルに戻る。今の友達は「OiOcha」ハワイでお茶がトレンデー。
ディナーが有るらしい。時間が有るので歩く。疲れる服は止めた。
海岸まで行き、そこから裸足だったり、草履を履いたり。有名なワイキキ。
有名だが、人でが多い訳でない。それがまた良いのかも。小魚が居る。
がほかは何もない感じ。逆に言うと、内海は有りすぎる。で、人が多すぎる。
多すぎる所へは行かない。それが日本と違う。昼のランチの場所も通る。
元の静けさだった。泳ぐのも良いが、そんなに泳いで居ない。自然の海岸を、自然を楽しむのが良い。-----------
人生の一番良い時は、15から18位だろう。そんな女の子達が眩しい。
20過ぎてまだ若いと騒ごうと日本の女の子。却って見づらい。
浜辺で海を静かに見る。そして本を読む。つまり、人生を考える。この最適地が、ワイキキなんだろう。ーーー
ディナーの会場を探すが解らない。聞くことも、何を聞いて良いのか解らない
聞いても「私は何処え行けばイイでしょう」そんな答えは誰も出来ない。英語ならなおさら。異邦人。--------------
行きたくて行けなかった人と待つてひとり来なかったが食べた人が居る
どちらが残念か、どう思う。-----------2012年06月へ
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----/h20120620b_12a.html,タンク、入場、20120612
-----no.7842 <<-----2012、06月20日(水、9時)----- ---又、思い出しながら---
---帰国から7日、昨日の夕飯も思い出せない男の記憶-----
九時四十五分に帰りの迎えバスが来る。朝は早い、6時はすっかり明るい。
この日、記念館に二度行く。部屋で寝ていても、飛行機で寝れないだけ。---------
ランニング姿で散歩。この時間は人は、掃除人が目立つ。
そんなに汚れは無いが、水も撒く。ゴミを集める。と言っても。みんな機械化されてる感じ。
昼間にゴミ集めなんかしないのだろう。観光客の知られない所で済んでしまう。
観光客がランニングしだす頃には終わっている。これがハワイだ。-----------
開館は九時、無料。祭日休み。9時前、又行く。
近くの郵便局によりハガキは無いか聞いたら、ABCストアーで買えという。
と、思う。郵便局で求める物は言語の問題で無い。
(郵便局とか、ポストとか、あまり見かけない)。入口で二十分位居た。
入口と言うより入口とタンクの間をウロウロしていた。
タンクを見ていた人に何か言い出して居た。
聞いてくれて居たが分かったかどうか解らないママ、分かったような仕草もする。
「He 。。Chaina Return Japan War End,I Love Siba,JapaneseWriter,
He Was In It]
一人のおじさんが、寄ってきた、写真を撮れと..写真機で無い、タブレットだ。
タンクに登る。俺は言われた所を推す。逆に、俺も登れと言う。
こういう物は登って撮る物かも知れない。それが今日の写真だ。
(後から建物の二階に登りそこの大砲や、ヘリこぶたーは「No ClimBing」と書いてある。
書いてないものは登る物なのだ)9時5分前頃、入口前で、箒で掃き出した。
顔は日本人老人だが、英語はダメ。俺「Wait For2Day」と言う。
向うは「祭日は休み」と言っている様だ。ここは無料、。裸足はダメらしい。
浜辺から百メートルも無い。9時入場、記入は「漢字で名前・・アドレスはJAPAN」
入場数は少ない様だ。日付で一日分が少ない。中は急いで、良い写真が撮れない。
展示は特に「日米」ではない。ハワイ陸軍というべきか??南北戦争や、ナチスもあり、
特定はしてない。空母「アカギ」とか、日本刀もある。「Japanese Weapons」の紹介だ。
俺には日本に残って居ない「戦車」を見た。それだけで良い。-----------
今度こそ迷子になると日本へ帰れない。そこそこで引き返してしまった。
沈んだ戦艦アリゾナは見えなかった。でも、そこも地形は大体分かった。
ハワイの島々を見た。後は机上で何とかしよう。アカギは何処に居たとか・・ -----2012年06月へ
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----/h20120620c_12b.html,空港へ、、20120612
-----no.7842 <<-----2012、06月20日(水、9時)------ ---又、思い出しながら---
帰りのリムジンの話も、帰りの飛行機の真珠湾も帰国のお迎えも既に書いた。
ハワイでの最後の頁になる。9時四十五分迎えのリムジン,飛行機は午後十二時40分。--------
その間、約3時間。このぐらいの計算は俺でも出来る。
慣れて来て一人旅行なら、もう少し時間を詰めれる様に思う。---------------
先ず、エレベータに付いて。これも、親しい友達だった。只、ボタンは、3ツ。
35とL(ロビー)と閉まる。26から44までしか無い。が使わない。
来るのに時間が懸る、来て、誰もいなかったり居たり。居ても色々、日本語は時々、
どうも中国語が多い様だった。英語も多い。中国語は団体なのだろうだから目立っ。---------
結局、空港で待つ時間が長い。ハワイの山々さようならと言う他、
「買い物」だ。俺この格好寒そう。赤いジャケットを買う。之で何とか機内の寒さをしのげた。-----
飛行機の前足を写す。カメラのテストか?「WingLet」とか「No Step」とか読める。
ライトが4ッも有ることも分かる。操縦席も写すが、これは真っ暗。-----------------
搭乗は当然予約だが、一人客が来ない場合、数分なら待っ様だった。
俺の荷物は24キロで、それでもガラガラ。だって、靴とズボンと他は、土産。
土産は自分分のシャツと半ズボン。捨てる積もりの来るときの服装もカバンの中。
--------------これが、ハワイの最後の頁だろう。------2012年06月へ
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----/h20120620d_plane.html,機内、デルタ、20120612
-----no.7845 <<-----2012、06月20日(水、11時半)--- ---又、思い出しながら---
機種はB767-300ERだ、ボーイング。会社はデルタ。
空いていた。後の席だった。その後が3列位から、当然移る。
ぎゅうぎゅう中央3席が、一人分になり、俺と息子は
窓側2席をお互いに専有する。快適な帰りとなる。が、いずれにしても長い。-----
安全の要領は読めない。絵だけ見る。「安全」を確信している。
英語で無い文字がデル。が分かる。現地時間と目的地の時間だ。
時計をセットすべきだが、一週間後の未だに、現地時間。長い時間だから、これが唯一の友達である。
映画が二本、「恐竜喜劇」と「動物圓物語」と、勝手に題をつける。
動物圓は感動した。少し紹介・・動物園を再開する話。其処に子供達の初恋と
父親と子の葛藤と愛がまじる。・・・と思う。だって、絵だけで考えている。
ライオンが居たり、寅が居たり。 ---------------
機内食は次から次と出る。たくさん食べて「寝ろ」と言っている様子。
食事にジュースが付いていて、直「お飲み物は??」と来る。
只隣りが居ないので、腕を広げて食べれる。高さは四〇〇〇フイート、一〇〇〇〇メートルか。
下も雲、上も雲。つまり雲だけ。寒いらしい。窓が凍る。---------------
画像に日本列島が写ると、安心した。もお直だ。---2012年06月へ
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----/h20120620e_aichi.html,愛知、帰国、20120612
-----no.7845 <<-----2012、06月20日(水、11時半)- ---又、思い出しながら---
単なる写真集だ。残念ながら、日本は雨。雲が厚い。名古屋城が何とか見える程度だ、
来たから空港へ入る。無事帰国。-------2012年06月へ
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----/h20120621b_mukae16.html,お迎え、、20120616
-----no.7856 <<-----2012、06月20日(水、20時)-----
16日(土)お出迎え。ハネムーンの。と言っても、向こうで会って来たばかり。ずれただけ。------------
その前に、家の野菜を次男に送る。うちの野菜より、えびせんべいが美味しいと言う。
序に、ウチの野菜も「美味しい」となる。送料は、物を混ぜると何処でも同じ。
空港前のコンビニから送る。翌日配達との事。--------------------
JRは競馬、JLが空港会社、83便,送迎デッキでは、もう飛行機が居る。
が、出てくるのに、時間が懸る。結局、一時間待った。
帰りは予定より早く着くと言う事で、早めに来たが
定時頃着いて、それでもやはりまつ。-------取り敢えず家まで送る。-------
何あともあれ、お帰り。お疲れさん。おめでとう。------2012年06月へ
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----/h20120621c_nagori.html,名残、、20120621
-----no.7865 <<-----2012、06月21日(木、09時)----------
やっと日誌らしくなったか。
少し落ち着く。宿題は、残って居るが、人生終り迄残るだろう。
未だに声がいたい、のど飴をもらいたい。日焼けもしていた。
歩いていただけでこれだけ焼ける。数年、日焼けが秋になっても消えない。
年なんだろう。草履を汚した。洗いたい。これこそ、長く使いたい。 -----------
レイが有る。式当日、掛けて貰ったレイは「生」だ。あれが欲しい。が消えた。
柔らかく、軽い。一番綺麗だし。それに、思い出だし。---------
その他のこれらも、もう捨てるべきか。無料で貰った二ッは、どこでもらったか覚えてない。
何かかった時か、もう一つは、ツアーの時か。これらも、長くかけていると重い。
買った黒いのは、実か種だ。白いのは貝だ、細かい手作業だと思う。
模様をあしらってもいる。内職だろう。いずれにしても、「ハワイ、有難う」。---------
帽子が増えた。古いのを持ち帰った。コレクションではない、捨てないだけだ。
(そういえば、ガイドのが、まだある。)帽子は、消費が遅い。
下着などは毎日着る。一年で消費出来る。ぼうしは毎日かぶらない。だから、消費出来ない。---------
此の頁を作り、物に感謝し。もう記録下から捨てても良い。--------2012年06月へ
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----/h20120625b_panfu.html,海外、パンフ、20120625
-----no.7926 <<-----2012、06月25日(月、15時)----------
夏に海外への人も多いだろう。盛んに「パンフ」が目立つ。「旅行は楽しい」。
殆どの人はそれと、後、少しの不安と。-------------
俺としては、楽しさより未知の訪問が強い。江戸末期の、「物見遊山」より、
中期1700年頃の、芭蕉の欲望に近い。-----------
何を探すか。日本人の起源だ。「日本人とは何か」が知りたい。
ホテルなんか余り関係無い。すると、最低の宿と交通費と食費と。
普通の物が食いたい。良いものは避けたい。地元の人が殆ど食わない珍味を食べるのが、普通の旅行なんだろう。
そんなパンフが多い。宿は「馬ノシトする枕元」(芭蕉)で良い--------------
経済はどうだろう。すると相当安く行ける様に思うが、
一般的に「飲み食い」を豪華にする」と、贅沢、金が無いとなるが、
生きていくだけの物を食えれば良いとなると、そんなに出費はいらないかも>>>--2012年06月へ
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