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-----no.8063 <<-----2012、0七月03日(火、23時)----------
バスで訪問、蟹江。
蟹江と言う言葉は何故か懐かしい。
名古屋生まれの俺は、
蟹江が遠い様で、近い様な所だった。
行きはしないが、
近所の人には親戚でもありそうな、
そんな関係の所だろう。
今日、行って来て、近さを再認識する。
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先ず、蟹江のガイドの集団、
と言ってもお会いしたのは3名だけ。
優秀な方たち。
先進地区であろう。
「おもてなし」とか、「笑顔」とか、
これらの言葉は、単なるガイド出ない。
接客業に近い、
町は「6K」と言っていた。
最初のKが「観光」らしい。
ここらでもう、歴然と差を感じた。
パンフのみでなく、
飴の売上もあり、
その辺から、「自立」も感じる。
人口3万数千、でも、「名」が売れている。
改めて、観光都市である。
否、観光都市指向である。
観光資源は何か・
「人」と答えるのだろう。
たとえ「殺人事件が未解決」だろうと。
それも、「資源」にしてしまう。
まいった!!!!
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扨、一日だが、雨だった。
前日は午前は何とか降らないつもりが、
バスで出る前から、
現地は土砂降りと。
で、資料館で話を聞く事が主になった。
写真もその他資料も多い。
自信を感じる。
だが、俺は、現地を歩きたい。
結局30分程歩いて終わる。残念。
国宝「十一面観音」だが、
正面から、拝めた。
横からも見たかった。
あれでは、写真で分かる。
収蔵建物は、免震構造と言う。
なるほど浮いた感じの堂である。
バスの停車に熱が入ったが、
狭いところだ。
それに、盆地状の窪地と思えた。
俺は、少しは「丘の状態」を想像していた。
外れた。
これでは、地震より「洪水」が怖い。
杜と言うべき、緑・・樹木も感じない。
これに悩む。
銀杏は有ったが、見なかった。
全く、不可解な場所である。
もう一度行くべきだろう。
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昼飯を頂き、そのままバスで帰る。
そう言う経験も初めてだった。
雨の日だった。

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