haruharu Page

-----no.8066 <<-----2012、0七月04日(水、07時)----------
夕飯後、講習。
半田で乙川最終回。
写真の三名が乙川の権威者。
否、もう一人。
最初の講習の講師が居る。
何はともあれ、地図が謎解きには有効である。
現在と天保十二年。
それに天保十五年もある。
もう一枚、確か昭和十四年。
天保十二年、天保十五年は目的が違うと言う。
序ながら、叱らね無い程度蛇足を言うと、
後頭部が皆さんそれなりに歳。
否、知識の引き出しが増えた結果の様で、
俺は、知識が無くてもそれなりに禿げる。
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メモとして、講習の項目を書く。
一人目。海蔵寺、飯森城、
二人目。乙川の位置、河川溜池、
 村地図、平地新田成り立ち、古窯、ETC。
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一人目は主に寺の説明。
禅宗を他と比較は勉強になった。
様式の違いは良く分かった。
建物を大きく作ると、
相似で大きくするだけで行けない事も分かった。
土台と柱の関係も面白い。
では、何故違うがまだ良く解らない。
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二人目。
先日、平地での講習の復習的内容である。
古文書も助けになる。
地図を読む。
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最後五分?の質疑応答が有った。
此れをもう少し充実して頂きたい。
・・・
私も、質問。
海蔵寺と飯森城が余りにも近いため、
関係は??
答え「無い」
そうだろう。資料は無いだろう。
だが、関係無いとは思えない。
敵か味方か、何らかの影響は有るだろう。
弓で矢が何とか届く距離だろう。
資料には、海蔵寺1489年開基、
飯森城、1532年からとある。
寺が在り、そのまま存続して、
城は50年後に出来る。
その時、城を作る時、
必ず寺を意識していると思う。
だが此れ以上書く事は、
歴史でなく、小説かもしれない。
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この地区、言われた様に、「観光」では冴えないかも・・
だが、「民俗学」としては、面白そう。
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帰りがけ、「懸垂線」の重量影響の議論を講師としてしまった。

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