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-----no.8151 <<-----2012、0七月10日(火、14時)----------
午前、講習を受けた。
町としては最終回。
貝塚だ。
i パンフとしては前回と同じ。
概要はいらない。
細かい事を書く。
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石碑の日付は「十一月13日は
前日の会議の日との事。
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地理的位置だが、波打ちぎわで無いという。
水だが、私としては「海」より「川」を考えていた。
つまり「飲み水」だ。
今の岡田川が飲めたから、ここが良いと決めたと思う。
それは「宮西貝塚」も同じ。
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発掘の話は「歴史」だろうが、
昭和十六年と云う時代を考えろと云う意見も有った。
私は「司馬遼太郎」を思い浮かんだ。
子供の頃、矢尻を集めたという。
司馬少年は、敗戦で帰った時、コレクションは跡形も無いと言っていた。
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貝塚では、カルシュームが残る、つまり骨が残るという。
そもそも、「貝塚」は日本だけで無い。
と聞いた。湿度の高いこの列島では、腐るのが早い。
(一方、成長も早い)。
土に埋められた「骨」は多く消えた。
だから、これだけの貝が出てくるには、長期と考えられる。
死骸は、土に埋められる方が、普通なのだろう。
まさか「火葬」はしないだろう。
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国と云う概念は無い。伊勢湾という概念も今と違う。
其処に人口と云う概念はおかしいが。
それだけが、人類の最大可能数だろう。
貝塚という事実は、「定住」を考えさせる。
定住してない人類もいただろう。
親子三、四人で移動もしていただろう。
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その他、資料も受け取る。
最後に「修了証」まで、同じもの前もいただいた。
これが「権威」を持つ時が来て欲しい。
新人は取り敢えず三名か。
いずれにしても、楽しく「学びたい」
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その他、@田が青々してきた、沢瀉も大きくなる。
A新たな展示に古文書が有ったし、黒電話はもう展示対象になった。
B講師の先生、全然、歳を取らない。何時までも若い。
C蟹江は又行きたい。
まあ、そんなとこ。

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