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-----no.8309 <<-----2012、0七月23日(月、17時)----------
西尾が出した本。
東浦図書館で「買って!」と言ったら、
県図書から取り寄せてくれた。
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特殊な本=講義をまとめた=だから、
それ程、練られていない。
つまり、難しい。
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だから、「感想」程度を書こうとすると、
私の読書力の能力不足を感じる。
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それを敢えて言う。
以前、此の頁の何処かに、「尾張は田舎でない」と言う論をした。
それを撤回すべきか迷う。
平安時代までは、田舎かもしれない。
東海道だが、伊勢から、大野(常滑)、
岩滑、又、海で、三河に上陸となると、
尾張は田舎だ。
持統天皇だから、京都で無く、奈良地方が都だ。
平安が終わる頃から、信長の頃で、
尾張は田舎を脱する。
だが江戸時代、東海道は、
宮から桑名は海上だから、
その名残が江戸時代まで残ったと
考えるべきだろう、
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西尾市が合併して、広くなった。
この件は前にも触れた。
そして、吉良市で無く、西尾市である。
長い歴史で考えると、この辺、町である。
田舎でない。
掘り返すと色々出てきそうだ。
西尾、刈谷は城下町だ。
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羨ましい。
知多半島は、余り出てこない。
塩が有るが、逆に言うと、
他に税として出すものは無かったかも知れない。
米は自給分が有ったか??
多分、米半分、雑穀半分程度か。
それとも、狐なんかを食べていたあのだろう。
平安時代余剰米があれば、お客(貴族)も逗留したろうに。

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