haruharu Page

-----no.8368 <<-----2012、0七月26日(木、18 時)----------
午後、古文書。
亀崎にて「奥のほそみち」

題名に付いて。
司馬遼太郎が「街道をゆく」を書いていたが、
確かこだわっていた「ゆく」で、
「行く」でも「いく」でもない。
多分、「ほそみち」は平仮名だろう。
漢字なら、細さがない。
勝手に思い込んでいる。
-----------
蕪村のように「絵」も書かない。
だからこそ、文学者だ。
流布本は多い。
文学として、どちらがふさわしいか、
それは、個々で考えるべきだ。
蕪村の「芭蕉像」は古さで、選んだ。
別に大した訳はない。
-----------
芭蕉のこの紀行文に対する思い入れは大きい。
当然そう考える。
今後読むとき、
「歴史」「事実」などは考えたくない。
「文学」として、見たい。
-----------
「元禄二とせや・・」
こんな疑問形は、俺も使う。
例えば「二日まえだったか??」とか
-------
「上野,谷中の花、木末、」
歌人は「花か、紅葉」を読むものである。
「花の雲鐘は上野か浅草か」
「貞亨4年、44歳。深川の草庵で聞く鐘の音。芭蕉前期の最高傑作の一つ。」
花も見ないで、行く。何故。
冬では行けない・・。雪の頃迄には終えたい。
---------------
芭蕉の支援者だが、
武士でない、町人だ。
芭蕉は一応「四書五経」は白文で読んでいただろう。
その教養は、「チラリ」と出す。
が、町人には「空海」とか「義経」が受ける。
そこまで、考えているだろう。
(俺だって、此の頁、誰が読むか意識する。
 (ただ、誰も読まないだろうが))
---------------
以前の「三山巡り」だが、当然、読まれる事を意識している。
が、武士だ。
殿様が気になるだろう。
逆に、
例えば芭蕉が「誰々城下、何万石」という意味を書くだろうか?
気にして行こう。

2012年06月へ