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-----no.8648<<-----2012、08月17日(金、09時)------

古代朝鮮の本
日本の歴史は、古墳時代からか、
--------古墳時代----------
古墳時代(は、日本列島において古墳、
特に前方後円墳の築造が卓越した時代を意味する、
考古学上の時期区分である。
一般に、縄文時代、弥生時代と対比して用いられる場合が多い。
当然のことながら、古墳の成立とその衰滅をいかに捉えるかによって、
古墳時代の時期区分にも微妙な差異が生じる。
例えば、前方後円墳が造営され始めた年代に関しても、
現在議論が大きく揺れ動いている。
現在のところ一般的には、
古墳時代は3世紀半ば過ぎから7世紀末頃までの約400年間を指すことが多い。
中でも3世紀半ば過ぎから6世紀末までは、
前方後円墳が北は東北地方から南は九州地方の南部まで造り続けられた時代であり、
前方後円墳の時代と呼ばれることもある。
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朝鮮は中国と陸地で接し、
だから時代も古い。
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未知の事が、多い。
だから面白い。
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日本との比較もおもしろく読んだ。
天皇制も考えさせられる。
「家」を日本人はよく言う。
例えば「徳川」。。で、庶民は従えと・・
逆に、朝鮮や中国では、疫病などの責任は天子や王に責任がある。
この比較は今後、世界で生きていく日本人は考えなくては!!!。
最後に作者を調べた。
---------------井上秀雄------------
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内, 検索 この項目では、 古代朝鮮史を専門とする研究者について記述しています。
琉球史を専門とする研究者については「井上秀雄 (琉球史)」をご覧ください。
井上 秀雄(いのうえ ひでお、
1924年(大正13年)12月1日 - 2008年(平成20年)10月7日)は、
愛知県生まれの歴史学者。
東北大学、樟蔭女子短期大学名誉教授。
専門は古代朝鮮史、日朝関係史。
朝鮮古代史の大家の一人であった三品彰英氏に師事し、
同じく朝鮮古代史を専攻。
その公平な歴史観と実証性を頑なに守る研究姿勢から、
所謂通説とは異なった多くの問題提議をした。
倭を大和とする通説に対して、朝鮮南部にいた人を倭と呼んだ、
などがその一例である。
朝鮮古代史を日本書紀から論じるのではなく、
三国史記や中国の関連古典から研究し、
日本書紀の朝鮮関連の記述を批判的に解釈するという、
至極最もな研究姿勢で多くの研究書を世に送り出した。
考古学に対する知見も豊富で、
例えば新羅史基礎研究にその成果を見ることが出来る。
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