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-----no.8675<<-----2012、08月20日(月、10時朝)------

17日の晩の歴史会の頁
(ヤットこの日。)
右図がほぼ内容だ。
新聞があつた。と言っても、
8月一日。
八朔だ。この日は縁起がいいのか
天正18年家康関東へ。
記事で、家康と秀吉の上下関係が一番気になる。
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滝口入道の女は「横笛」と言う。
何故かは書いてない。
この名前が気に入らない。
「青葉」とか、固有名詞でない。
一般名詞だから、そお良い笛は持たないが、旨いと言う事だろう。
能の「小督」のほうが、情がある。
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摂家の家系が出てきた。
貴族の家系だ。
天皇家の方が上だ。
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さて、その天皇家だが、
「古事記」の話である。
家系も有ったが、神話の時代だ。
卑弥呼は歴史か文学か疑問のあるとこだが、
それより古い話は歴史と言うより、
「神話」として分類したい。
だから、此れ以上述べるのは、止めたい。
「白い鳥」いう話を聞いた。
多分この人ダロウと他から聞いた、
で調べた。
飲み助の様だ。
歴史を語る人では無い。
戦前はそれで良いが、
戦後はこれを反省すべき人だと思う。
敬語が多すぎて、それにカナだし、戦後では読みにくい文と言えよう。

いか資料。「
============d20120820鈴木三重吉.mem======
鈴木 三重吉(すずき みえきち、
1882年(明治15年)9月29日 - 1936年(昭和11年)6月27日)は、
広島県広島市出身の小説家・児童文学者。
日本の児童文化運動の父とされる。
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目次 [非表示]
/1 来歴/2 注/3 著書/4 関連項目/5 外部リンク
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来歴 [編集]広島県広島市猿楽町
(現、中区紙屋町、現在デオデオ本店がある地)に、
父悦二、母ふさの三男として生まれる。
広島県立広島中学校(現・広島国泰寺高校)から
第三高等学校を経て東京帝国大学文科大学英文学科に入学。
中学時代から文学に熱中し、映山という筆名で
雑誌『少国民』『新声』等へも投稿した。
中学2年の時には童話「あほう鳩」などが雑誌『少年倶楽部』に入選している。
大学在籍中には、夏目漱石に自作品「千鳥」を送ったところ、
推薦を得て雑誌『ホトトギス』に掲載され、
以降漱石門下の一員として中心的な活動をおこなう。
大学卒業後、成田中学校・海城中学校・中央大学などで教師を務めるかたわら、
長編小説「桑の実」 [1]など数々の作品を執筆して小説家としての評価を
上げたが、小説のゆきづまりを自覚し1915年(大正4年)以降小説の筆を折る。
娘のために作品を創作したことをきっかけに児童文学作品を手掛けるようになった。
1918年(大正7年)、児童文芸誌『赤い鳥』を創刊、
文壇の著名作家 [2]に執筆を依頼。芥川龍之介「蜘蛛の糸」や
有島武郎「一房の葡萄」などの童話、北原白秋らの童謡、小山内薫、
久保田万太郎らの児童劇など大正期児童文学関係の名作が本誌から誕生し、
教訓色に塗り潰されていた従来の児童読み物が、
芸術的にも高められていく気運を作り出した。
1936年(昭和11年)に三重吉が肺癌で亡くなるまでの足かけ
18年(196冊)刊行を続け、最盛期には発行部数3万部を超えたと言われる。
しかも学校や地方の村の青年会などで買われたものが回し読みされたという。
この間、坪田譲治、新美南吉 [3]ら童話作家、巽聖歌ら童謡作家、
成田為三、草川信ら童謡作曲家、清水良雄らの童画家も世に出した。
また紙面に児童の投稿欄も設けられ三重吉や白秋、山本鼎が
選評にあたり児童尊重の教育運動が高まっていた教育界に大きな反響を起こした。
三重吉の没とともに『赤い鳥』は廃刊となるが、
13回忌にあたる1948年(昭和23年)から「鈴木三重吉賞」が創設され、
現在も全国の子供の優秀な作文や詩に賞が贈られている。
古事記を子供にもわかりやすいよう物語風に現代語化して
『赤い鳥』に連載した「古事記物語」 [4]の作者としても知られる。
里見クの随筆によると、里見が泉鏡花を、
直接の師匠ではないからというので「泉さん」と呼んでいたところ、
酒に酔った三重吉から凄い勢いで叱責されたとあり、
酒癖の悪い人物だったらしい。また小島政二郎『眼中の人』に、
代作の実態や、三重吉の酒癖の悪さは描かれている。
一晩に酒一升を平らげるほどの酒豪で、
酔うと手が付けられず灰皿が飛び交うような大喧嘩に
発展する事もしばしばであった。
酒の諍いが元で「赤い鳥」創刊当時からの仲間であった
北原白秋とも1933年以降絶縁状態になった。[5]
----------------------- 著書 [編集]千代紙 俳書堂 1907
女と赤い鳥 春陽堂 1911
おみつさん 春陽堂 1912
返らぬ日 春陽堂 1912
小鳥乃巣 春陽堂 1912 「小鳥の巣」岩波文庫
櫛 春陽堂 1913
女鳩 浜口書店 1913
桐の雨 浜口書店 1913
桑の実 春陽堂 1914 のち岩波文庫、新潮文庫、角川文庫
朝顔 植竹書院 1914
赤い鳥 春陽堂 1915
懺悔 ゴリキイ(訳)博文館 1915
三重吉全作集 全13編 春陽堂 1915-1916
古事記物語 赤い鳥社 1920(赤い鳥の本) のち角川文庫
救護隊 赤い鳥社 1921(赤い鳥の本)
アンデルセン童話集 (訳)アルス、1927
日本建国物語 アルス 1930
現代日本文学全集 第42篇 鈴木三重吉集・森田草平集 改造社 1930
千鳥 岩波文庫、1935 のち新潮文庫、角川文庫
綴方読本(編)中央公論社、1935 のち角川文庫、講談社学術文庫
鈴木三重吉全集 全6巻 岩波書店、1938
三重吉童話読本 全10巻 明日香書房 1948-1949
鈴木三重吉童話全集 全9巻別巻1 文泉堂書店 1975
鈴木三重吉全集 全6巻別巻1 岩波書店 1982

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