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-----no.8692<<-----2012、08月22日(水、9時)------

(講習前、9時まで書く)
午前「ふるさとの勉強会」
資料として、右の如くだ。
洩れは無いと思う。
刈谷が目立つ。
主体的に取り組む人が、
目立つのは、それなりに良い。
そういうもんさ。
写真をもらった。但、A4のコピー。
そういえば撮ってもらった。
日付は今年5月31日。
その他、椎屋敷と松本奎堂のパンフも貰う。
序に、「愛知県の史跡」もGet。
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沢瀉は花は終り、
実が出来ていた。
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姫のスタンプもGet。
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さて、本題の勉強。
三十、「社宮司」
個人的には結論は出ていて、
縄文から弥生時代に移る時の遺跡と思う。
「しゃくじ」という言葉が変化したものだろう。
「海上から侵入してくる敵や悪疫を祓う・・・」
と、ある。
敵や悪疫が来るという言い伝え。で、
【疫】とは何か。
[音]エキ(漢) ヤク(呉) [訓]え えやみ
z〈エキ〉流行性の病気。伝染病。
「疫学・疫病・疫痢/悪疫・検疫・防疫・免疫」
〈ヤク〉zに同じ。「疫病神(やくびょうがみ)」
「敵や悪疫」は異民族だと割り切って考える。
「国」という概念がまだなかったからそう言える。
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鎌倉の頃なら、「元」とか「高麗」とか、
そう言う言葉だろう。
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「弁天社」
現在、動きがあるらしい、が、
お払いを充分したのか、それとも、
現代では祟りが通じないのか、
特に、災いは無いという。
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「乾坤院」
僧の名前が話題になる。
例えば「逆翁」だが、引いてみると、
先ず「逆翁宗順 ぎゃくおう-そうじゅん」で出てきた。
つまり「1433−1488 室町時代の僧。
永享5年生まれ。曹洞(そうとう)宗。川僧慧済(せんそう-えさい)の法をつぐ。
文明7年(1475)尾張(おわり)(愛知県)乾坤(けんこん)院の
開山(かいさん)にまねかれたが,慧済を推し,みずからは2世となる。
遠江(とおとうみ)(静岡県)の一雲斎,大洞院などの住持をつとめた。
長享2年8月15日死去。56歳。尾張出身。
別号に蔵鷺叟。号は「げきおう」ともよむ。編著に「点鉄集」。
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と。
普通名詞と言うより、固有名詞と言える。
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もう一っ。
「川僧」を索く。
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川僧慧済 せんそう-えさい
?−1475 室町時代の僧。
曹洞(そうとう)宗。近江(おうみ)(滋賀県)洞寿院の
真巌道空(しんがん-どうくう)の法をつぐ。
のち遠江(とおとうみ)(静岡県)一雲斎,能登(のと)(石川県)総持寺などの住持。
講義提唱にすぐれ,講義録「無門関抄」などをのこす。
晩年,弟子の逆翁宗順に推されて尾張(おわり)(愛知県)乾坤(けんこん)院の
開山(かいさん)となった。
文明7年7月9日死去。三河(愛知県)出身。
諡号(しごう)は法覚仏恵禅師。
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「東光寺」
医王山で、これは、薬師如来と結びつく。
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「伝宗院」
時代は「永禄三年」から以降の様子。
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「越境寺」
村瀬家と沢田家の結びが強いとの事。「キリシタン燈篭」は、水野忠守の説がある。
「キリシタン、水野忠守」で引いた。
どうも出てこない。
まあ、良い。定説まで行ってないとしよう。
宣伝して、定説にしよう。
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三十六「了願寺」
「永井家」と関係。
「永井」の永が「長」改の説は無い。 6月ごろ行った南区「西来寺」
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三十七「善導寺」
於大関係寺宝あり。その他「県指定「異国。。。」がある。
見たい。
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此処で時間切れ。

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