-----no.8965----2012、09月17日(月、11時)------

葦クラ寺。
これは地名。
そんな寺は無い。
-------------------
一日目、宿は、博物館の前。
博物館内は一応、「撮影禁止」の掲示。
気の弱い、否、生真面目の俺は内部の写真は無い。
ただ、前頁の学芸員の写真は取らしていただいた。
若い、溌剌の、好青年。
「加藤さん」??写真では、判別できない。
内容はパンフを購入してあるから、
その機会に述べたい。
----------------------------
もう一人若い学芸員が、館外を案内してくれた。
宿の「そうしんぼう」と「教山坊」の間は、
駐車場と言うべきか、広場と言うべきか。
この幅、一件、宿坊の幅。
その他の宿坊は、往時を偲ぶべし。
荒れ果てては言うが、それなりに分かる。
間口は4間から5間。
住む家、現役も有り、
また夏草のそのままもある。
ただ、明治初年の破壊から、
時間は動いていないと感じる。
つまり、生きる糧を探し喘ぐ如し。
-----------------------
100mも上り、右の小道をくだる。
その先に、数段の石段を登ると、閻魔堂、
そこで、本部「教育委員」か、拓本中。
この閻魔さまを拝み、
此処が村の集会場に使われつ居るとの事。
そう考えると、何処でもあるような広間。
だが、丈六以上と思われる「閻魔様」。
此処から、布橋は近かった。
ただ、現在は自動車も通れる道だが、
その前に状態は、想像できる。
---------------------------
私のシャツは黄色から緑縞に変わるが、
これは日も変わる。
朝、隣の雄山神社。明治初年、此処も「神仏分離」で激動を味わう。
此処は、映画「点の記」のロケ地だ。
明治陸軍の参謀を考えさせられた。
ここも「坂之上の雲」をめざして上っていた。
----------
個人的にこの村を縦断で無く、横断もした。
最大でも幅200m程度だろう。
山と谷川の間の村だ。
谷側では、畑、家庭菜園とはいえ、プロ並みだ。
ひまわりも有り、松平伊勢守の寄進壁も見た。
また、山側は、リスが道路を横断していた。
朝飯を頂、弁当を受け取り、バスは出た。
=================================

2012年09月へ