-----no.9047----2018、09月29日(土、18時)------

もう、夕方である。
やっと、涼しくなってきた。
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思い出しながら、書く。
この日」の2日前、彼が来た。
最近、毎月1回来る。
俺以外のメンバーの所へも行くか、 どうかは、知らない。
月1回程の話は丁度いい。
ただ、「家系」の話はあまり興味がわかない。
まあ、其処まで知らないからかも知れない。
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歴史会は金曜夕方だから、
21日だ。
新聞があるが、当日では無いから、
もう、これはやめても良いと思う。
そのほか、「清盛」の関係だと思うが、
「袈裟と盛遠」が、有った。
女の悲劇のようだ。
この辺り、作者は中国の「楊貴妃」の、
教養があり、それに対抗しようと書いている様に感じる。
とても、歴史は感じれない。
文学として聞いた。
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すこし調べると芥川龍之介が出てきた。
以下だ。
「袈裟と盛遠。。。芥川龍之介
        上
 夜、盛遠(もりとお)が築土(ついじ)の外で、
月魄(つきしろ)を眺めながら、落葉(おちば)を踏んで物思いに耽っている。
     その独白
・・・・」
特に今読む気が起こらない。
大正の匂いがする。
龍之介はどうもタイプでない。
彼を読むと「自滅・・自殺」しそうで、読まない。
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そうも逝かない。
歴史としては以下だ。

生涯 [編集]摂津源氏傘下の武士団である渡辺党・遠藤氏の出身であり、
北面武士として鳥羽天皇の皇女統子内親王(上西門院)に仕えていたが、
19才で出家した。」
又、『源平盛衰記』は、出家の原因は、 従兄弟で同僚の渡辺渡(わたなべわたる)の妻、
袈裟御前に横恋慕し、誤って殺してしまったことにあるとする[10]。


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歴史の「議題」としては、
半田の空襲で有った。
名古屋の空襲や、東京や大阪、その他と比較しないと、
単なる「感情」だけで終わりそうだ。

この日から、和室ではない。
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10月は又、旅行らしい。
旅行会にすべきだ。

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