-----no.9087----2018、10月04日(木、4時未明)------

定例会は郷土史館。
と、間違えた。
此処まできて訂正してくれた人「ありがとう」。
急いで向かう。稲に彼岸花。
町長の武ログもこのコメントがあつた。
忙しい人が、明徳寺川を歩いたのだろうか。
それとも投稿か?
閑話休題
-----------------------
定例会は、前後の日程」の確認。
今日の午後もあるという、。
参加とする。
来週、犬山訪問もある、行くことにした。
車提供となる。
資料も頂く。
つまり、小牧と長久手。
この辺り、当然何度も行っている。
が大勢で行けば、新たな発見もあろう。
------------------------
石浜の散歩は、土曜・・
中国語と秤にかけると。
中国語が思い。御免。
---------------------
28日の藤江もどうも出れない模様。
でも、来年こそ出てみたい。
-------------------
産業祭りはまだ先の様な気がして
。。。まあ、去年通りで良いや。
-------------------
尾張名所絵図の販売がある。
が、前に求めている。
が、まだそのままで読めていない。
---------------------------
(http://www.yurugp.jp/???ゆるきゃらの頁を見る。)
「夢サポート」のチラシがあつた。
これ行きたいと思う。
少し関係がある。
最近、休職中だが、
娘がお世話になっている。
後で会ったとき確認した。本とらしい。
-----------------------
後1点。
永井家について、
この頁を早速家に帰り開く。
以下だ。
==================d20121002了願寺.mem================================
http://www.ryoganji.jp/framepage1.htm
---------------(135)尾張大江永井家----------------
---張大江永井家
・・・。
永井直勝について調査しているので、
関係深い当山から永井氏に関わる故事来歴をお聞きしたいとのことでした。
碧南市の東端、かつて直勝が住んでいた屋敷跡があるとのことなので
、永井家とは関わりの深い地域だということはかねがね聞いていましたので、
お役に立てばと來山調査されることについて快諾しました。
そうした“ご縁”に触発されて、私自身も永井家と当山の関係を改めて調べてみることにしました。
。。。。
--------------------

は東端も訪問したことがある。
が、「屋敷跡」とは、「此処らしい」と言う立て札があるだけ、
南区の場合も「寺」と「駐車場」があるだけ。
両方、信じて良い。
東浦の場合、屋敷跡は無い。。
しかし、この寺がある。
屋敷が無いことが、古さをあらわす。
同時に、この頃・・つまり此処にいた頃は、
無名であり、しかし、此処から発祥したことが確信できる。
そういうものだと思う。
たとえば「秀吉」は、中村区の何処で生まれたか。
「信長」の生まれも2説ある、勝幡か名古屋か、??
そんなものさ。
それ以上は、学者の趣味さ。
永井直勝にもどる。
碧南の大浜辺りも因縁がある。
出生地より、幼少期が何処かのほうが興味ある。
この辺りをうろついていたのだろう。
その「この辺り」こそ、風景をみつけたい。
戦国時代末期のこの辺りが見たい。
江戸時代の新田を全て取ると見えてくるかも??

2012年09月へ