-----no.9212----2018、10月16日(火、16時)------

ガイドの会で小牧、長久手。
2つの地名を並べると、
戦跡だ。
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俺が車を出した。
こんな時のための車か。
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印刷メモをみたら、乾坤院とある。
此処で待ったが、誰も来ないで。
上の駐車場へ。
その前に、寺をお参り。
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道は、誰かの車に続いた。
続くと楽だ。
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画像は小牧山が多くなってしまった。
なぜかと言うと、我々は観光でない。
歴史調べである。
それが今調査中と言うことだから、その写真が多くなる。
左下が長久手になる。
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俺は、市役所に止めた。
陸橋を渡る。其処にもう待っている。
各自、夫々上る。つまり、登山。
大手道を止めて、市役所で三階まで、・・
まあ、老人が多いのでそれもしかたないか。
序に市役所はここは、古いが、まだ現役の様だ。
だが、そのうち壊して、
史跡調査か、駐車場にしてみたらとおもう。
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天主(信長の城だから、「天守」は止めよう。)に着く。
発掘している。
案内板の所はいつも誰か居る。そこのおじさんがそう言う。
上の柵からも見える。
下に下りる。
一言声をかけると、
説明してくれる。
「小牧市」というプレートが胸に。
学芸員と思う。顔はカメラで取れなかった。
説明はこうだ。
つまり、「後世の我々が(信長が岐阜を早く滅ばしたから、
適当な築城と考えるが、信長自身は岐阜と長期戦かも・・
相当な築城をしていた・・」という。
同感である。
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「皆さん、休憩しましょう。」と言うからには、此処の責任者だろう。
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一応「登城」、100円。
上から、岐阜城、清洲城を探す。
出る前に本を買う。
「続 小牧山城」。(まだ25頁ほどしか読んでない。)
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昼食は市役所新館。
この前着たときは工事中だった。
つまり初めてである。
ここから、城は見える。
まるで昔からあるように。・・・
定食500円とコーヒーは150円。
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出る前に、4階で発掘資料を貰う。
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高速で、長久手まで、。この区間あまり馴染みがない。長久手の史跡は前は良く通る。
が此処に入るのは2回目か。「村」としての話と、古戦場としての話がある。
古戦場としてはここだけでは狭いが、池田親子塚、武蔵塚は歩いて回る。
そうすると少し戦場の広さが分かる。
坂の上り下りが昔のままだとする。
丘の影から「鉄砲」が見える。だが、最後は野戦だろう。
家康の方が勇敢だろう。
楽田の秀吉に奢りが感じれる。通説どおりだろう。特に疑問は無い。
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問題は江戸末期と、明治だろう。この時、碑が建つ。此方が問題だろう。
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車で移動。歴史公園だ。家康が腰掛ける・・。腰掛けなくても此処で軍議がされた様だ。
その根拠は、見晴らしの良さ、今も・・今改めて、見晴らし台が出来ているし、壁飾りまで立派。
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市役所え移動。交歓。あちらの会長少しワンマン的と見えた。がそれもみんながよければいい。 長久手の売りは何かに寄る。

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