-----no.9278----2018、10月19日(金、13時、昼)------

昨日の事。
日誌がそれなりの日付に書けるようになったようだ。
午後、同好会(古文書)で亀崎の事。
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本題は「奥の細道」だが、その前に。
そろそろ、フェステバル。
福祉大での。
これには一度いきたい。
中国語もあるし・・
拓本」のお披露目。。
俺には少し難しい。
「庚申塚」は読める。
その他、歯が立たない。
まあ、当日行けばいいのだ。
ただ、秋の良い日だから、他にも、
行事は多い。
前前日の準備だけは「参加」で、
届けておく。
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次回の木曜25日は休講となる。
本題だが、
つまり、「奥の細道」である。
27頁の「大田の神社・・実盛・・」の辺り。
一応、お越しの振り仮名を原文に書いた。
前調べとして、
「斉藤実盛」と「花山天皇」。
これだけ引いた。
実盛は、天永2年(1111年)−寿永2年(1183年)6月22日
当然と言うべきか、生まれは日付けは不明だが、
没年は日付まである。
その資料を探すと以下だ。
・・・『平家物語』巻第七に「実盛最期」
・・・前賢故実』による斎藤実盛室町時代前期の応永21年(1414年)3月
・・・醍醐寺座主の満済は、その日記『満済准后(まんさいじゅごう)日記』に書き留
・・・世阿弥のもとにもたらされ、謡曲『実盛』として作品化
・・・松尾芭蕉も、『奥の細道』の途上
・・・寛延2年(1749年)初演の人形浄瑠璃(後に歌舞伎化)『源平布引滝』は、
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此処で、平家物語、謡曲、芭蕉、浄瑠璃。と考えれば十分だろう。
平家物語は庶民、謡曲は上流、そして芭蕉、が来て、
浄瑠璃はもう、映像の世界、
現代の私は又「文字」で芭蕉を読む。
映画でこの場面はまだ見ていない。
老人の生き方は、多分「江戸時代」に普及する、
(今の老人ではこれははやらない。
 はやっているのは、健康、長生きだけ)
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花山天皇の時代が余りにも古いのを改めて驚く。
安和元年(968)寛弘5年(1008年)。65代。
紫式部の少し前といえる。
信心の浅い俺に観音さんは分からんが、信心が深まれば観音さん、花山院が出てくるのだろう。
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質問も頂いた。俺の論は、芭蕉は「源氏物語と平家物語」を考えている。
で、「須磨も石山も、源氏物語」が根底にある。
それから、芭蕉後、浄瑠璃も歌舞伎も、芭蕉の世界をイメージしている。
平家物語などは名前だけで芭蕉が作った世界に乗った文学だと思う。
言いすぎかな??
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大河は今年「清盛」。「松けん」だ。だが、おれは六波羅の像を信じる。 若者が六波羅の像を見ないと「まつけん」ほど格好良いとおもうか?
今なら、情報も多い。だが、江戸時代なら、元禄なら・・
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私には、元禄が見たいという根底の考えがある。対して「昭和」は長すぎる。
だれも、昭和を一言では言えない。で、戦前とか、戦後とか、バブル期とか、 リーマンショック後とか、色々言う。
「昭和期は、一億玉砕の時代」といえば間違いだ。
同様で一言で、江戸時代と言うでも長すぎる。元禄とバブル期ひかくするならまだ良い。
元禄の芭蕉は、ルネッサンスの火付け役と思う。
東京五輪の景気を感じる。近松門左衛門の退廃性が無い。

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