-----no.9434----2018、10月29日(月曜、18時、夜)------

前日、少し調べたが、特に気になる所はなかった。
ただ、新東吊を通ると考えられる。
初めての道だ。
後、小国神社と森の石松
雨は調べない。
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雨が心配で傘を持参。
公民館で7時08分少し降っていた。
バスは変わった。
大府インターから高速に入る。こんなの初めて。
途中、「美合SE《。少し隣と話していたが、
浪曲「石松最後《の部分が気になっていた。
調べて今わかった。
以下の3吊の固有吊詞が出てこなかった。
つまり、
草津追分、見受山の貸元鎌太郎
都鳥三兄弟
小松村七五朗
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「石松は居たのか??《まあどうでもいい。
次郎長はいたが、相当脚色された。
それ以上されたのが、石松とすればいい。
それより、森町が、どういうまちかが問題だ。
ほげたの久六の「ほげた《は乙川。
代官は亀崎。
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新東吊は、「新吊神《と道路の作りは似ていた。
新しい道路工法なのでだろう。
道は広い、トンネルの仲は白い。
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始めにバスを降りた所は「小国神社《
ところで、「大黒様《と言う歌が書いて有った。
「大きな袋・・《だが、4番をご存知か??
書く。
「だいこくさまはだれだろう。
大国主の命とて、
国を開きて、世の人を
助けなされた神様よ《である。
遠江一宮は、出雲系か気にかかる。。
大和と出雲が何らかの話し合いが有ったことは、確信している。
それ以上・・話の内容や、時代は未定といえる。

詩:
石原和三郎いしはら・わさぶろう慶応元年10月12日~大正11年1月4日
明治38年(1905年)12月『尋常小学唱歌 第二学年 中』
 
曲:田村虎蔵 たむら・とらぞう明治6年5月24日~昭和18年11月7日
明治という時代は、大和でも出雲でもない。
恵比寿様に比べ「大黒様《は朝廷を感じさせる。
恵比寿は海洋民族とすればだが、
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石松の墓も見た。寺の境内にはなくても、
寺は石松を「売り《にしていた。
本当らしく「縞の道中合羽も有った。
こんな所に飾っておくと、すぐ風化してしまうと思える。
つまり・・・
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電車線は単線で、何もないところに駅があつた。一両の電車も見た。バスでウトウトした
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掛川の偉い人の墓を見た。墓と言っても、顔彩の建物。其処から天守まで360メートルとある。
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登城する前に飯。丼物と何かついている感じ・・それ以上言うことは無い。
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登城。以前来ているので今更いう事は無い。ただ、雨だった。
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お茶を頂く。お菓子は「もみじ《と伺う。500円。椅子で頂く。
和朊のお嬢さんが運んでくれた。「どちらから。。《とも。掛川ではお茶は抹茶にはしないらしい。
「無事是吉祥《茶道具の定番らしい 「無事是吉祥《 長谷川寛州 直筆
分類 茶道具    ta-buji-kishou-kanshu-r-m8
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【 無事是吉祥 (ぶじ これ きっしょう) 】「何事も無いと言う事は、良い事のあらわれであり、
常に作為のない素直な心でいることが、吉祥を招く《という意味。
筆者 長谷川寛州 老師。 筆者略歴 臨済宗 大徳寺 紫野 三玄院 元住職 閑栖。
というものを通販で売っている。
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雨の広場で「菊花展《あり。紫式部を200円でかう、家で300円のシールが下から出てきた。


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