-----no.9513----2018、11月03日(土、9時、朝)------

7時半から、半田で、
講習会「よもやま、亀崎廻船が有った。 -------------------------
カメラを忘れた。
携帯で2枚程撮る。
が音がスル。で止めた。
携帯のメモリを出すのはが面倒。
小さい機器はそれなりに面倒。つまり奥の方に有り、手間が掛かる。
手軽に撮影。印刷はまだ不便。
そのうち赤外線通信などで・・
まあ、いつか出すだろうが。その時考えよう。
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さて、本題。
福祉大の曲田先生。
この先生と思い出かけたとも言える。
この先生、なにか「得る」ものがある。
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半田と亀崎の差別化が有った。
そう思う。少し文化圏が違う感じがする。
浪曲「次郎長伝」で、亀崎代官が出てくる。半田は全く出ない。
浪曲は昭和の初めとしよう。それが幕末を描く。
この時は「亀崎港」の方が半田港より有名だろう。
「半田は、明治帝が来て、時代が始まると考えた方がいいだろう。
で、平成に明治の半田を調べれば良い。
では、幕末は亀崎・・さてホゲタだがどこだ。
「保下田の久六」とくる。全くの空想か。
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本題に戻る。
資料は8つある。
江戸廻船だが、江戸へ直接はいけないだろう。
で、浦賀による。
そこに資料が出てくる。
又、本所回向院にも墓に痕跡が残る。
先生は「行け」というが、そう行けるものでもない。
又脱線するが、江戸廻船は、
「清水」も寄るだろう、その他「街道筋」の港港へ。
次郎長伝はやくざの話という見方だが、
街道の姿をみるのもできる。
寺津、藤枝、清水、興津、・・
江戸廻船は此処を寄る。
で「亀崎港の船」と名前を売る。
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亀崎港の詳しい事は、講義にでなくては分からない。
おおよそ尾張で300船。
「県史」を修正すべきと言う。
小早船、奥建と使い分けると言う。
考えれば「当然かも」と思う。
空荷で船を走らせない。
停留も少なくしたい筈。
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資料は一応寝床で読んだ。
机前で読むべきだろうが、何時のことだろう。
「奥建」とか、

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