-----no.9580----2018、11月10日(土曜、19時、夕 )------

遊びと、記録を比べると、遊びが好き。
今記録しようとしているが、簡単な頁を先にする。
その前、木曜の古文書とか、
その日、金曜の名古屋が後回しになる。
又、今日の、産業祭りもいつか書きたい。それと中国語も。早めに。
-------------------------
7時半からの半田よもやま話に行く。
この先生、何か憎めない、無骨さが変えつて愛嬌。
美術の先生とも聞いた。また、内海の縄文土器の話も。
今回、武豊にも務められたとも聞いた。
図が資料一に有った。
つまり、長尾城だ。先生の作品らしい。
(敢えて言うと、絵があると、想像しやすい。
------------------------
絵を見る。
橋がある。下は堀か川。
左に長屋門の様子・・これは根拠があるかどうか知らない。
堀があれば、土塁だが、これか?
少し質問したが、もう少し聞きたかった。
又、いつかあるだろう。
-----------------------
講習内容をかくにんする。
JR購入で、官舎ができ、それ以外保存状態が良い。
大きさは東西三十四間(61.2M)、
南北七十間(77m)と図に書いてある。
門が北と西に確認出来た。
堀は図之様な箱堀。
質問した。空堀か水堀か。
「空堀」と、つまり水の跡は無い。
瓶の破片が三つ出た。
これも質問、大きさは??
どうも水瓶の様に大きい。
事実はこんな所か。
---------------------------
話は大体以下。
今川義元時代。短期にできて、桶狭間後、すぐ消えた。
---------------------
又、資料は「城主、岩田氏」と。
鎌倉中期の岩田遠江守朝弘
曾孫、元寇役出陣
安広、天文一二年水野信元に負ける。
永禄四年頃廃城。
-----------------------
その他、桶狭間や村木砦の話もあったが、
これは通説が安定していないとして触れない。
-----------------------
さて、ここから、私の雑念である。ほぼ、同感である。
急の縄張りのかんじがする。生活の匂いがしない。
水瓶だけなら、兵の駐屯地とも言える。要するに「ベースキャンプ地」だ。
篭城するとか、家族が住むとか、そんなものでは無い。
すると、絵ももう少し替わる。
-----------------------
俺、場所が浮かばない。地元の人かが質問した。
「武雄神社より低い・・・」・・このあたり、現地に行きたい。
できれば、発掘中の今。雨で、堀が壊れると聞いた・
武豊町の教育委員会の電話は????

2012年09月へ