-----no.9603----2018、11月12日(火曜、9時過ぎ、朝 )------

火曜の朝である。
少しのんびりしている。
と言っても、6時半呼び出されて、孫を預かり、
隣でねている。
泣かないうちに・・
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この項目のホルダーを見て、ファイルのリストを見て、
動画をまとめ、
それを、登録下トコだ。
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この頁は、10日の14時26分から15時50分迄の事。
これは写真のタイムスタンプで確認している。
出かけの車からの写真と、帰りの明徳寺川の写真で確認できる。
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家から明徳寺川沿いに下り、信号も超え、
駐車は又、川沿い。
中々の秋晴れ。
出かける前町のHPを見た。
確か又姫が来る。
少しでも見ようと急いだ。
道路を渡ろうとすると、信号に回れといわれる。
着いたのは41分頃。始まっていた様だ。
で、それが上の動画。
何とか見れた。
まあ、去年とたいして変わらない。
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去年は、「大」姫の追っかけだったが、
今年は、乗り換えようか。
否、タマタマ、江姫が近くまできただけ。
思いは、東浦町民として、「大」だ。
「江」が、嫌に若い。ということは、大野の姫か。
江戸の秀忠の姫はもっと怖いようだが。
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てな事を考えていると、新しい姫を発見。「東浦未来ちゃん」だ。
この子も若い。町としては、この子を売るのも良い。
町長としては、未来の町を作る者としては、こちらでも良いのでは。
たが、歴史関連で売ろうとするガイド会は、「大」姫だろう。
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話をそらす。名前だ。女にも名前はある。昔からそうだ。
でも、戦国の姫は六人とも知られている。逆に、これは珍しい例としたい。
「江」は、どう読む。ごうか、江戸の姫になってからこう言う「江」になったと思う。
家康あたりの名づけではないか、つまり、駿河に移り、「江戸の姫」と呼び、それを「江」と・・
と私は考える。独断である。
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短い時間だが、メディアスと話も出来た。序でに写真も撮れた。感謝。
光の話も聞けた。支持していきたい。
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15時30分。ガイドコーナーも見た。もう、終わった感じだった。 武豊線の下を通り、駐車場へ。

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