-----no.9712----2018、11月26日(月曜、9時、朝 )------

まだ雨。
9時も過ぎた。
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当日のドタキャンはいけないと。
土曜日、寝床から電話して断っていた。
それより前、メールで聞いた
何人集まるか東京からは何人。
答えは20人3人だった。
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当日昼頃、電話で「来い」と。
一旦断り、再度電話し「行く」と。
東京から3人は、男かなと思っていた。
でも、行くか」
痛いが、下痢はない。
以上が、前置きである。
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名鉄、地下鉄は慣れたコース。
栄の町は只、案内を頼りに。
この日も雨。
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入口で、幹事が居た。
地下に降りると、東京からの女の子。
東京からの3名は女の子だった。
・・女の子と言う表現はおかしいか??
還暦過ぎた女には、・・
でも、同窓会だ。女の子で良い。
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先生もみえた。その他も揃った。
始まった。ほとんど食べなかったが。
何か急に、元気が出ていた、「躁」の状態だった。
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子守歌がある。よそ者には不思議だろうが。
高校2年当時先生にお子様誕生。
で、これが、一層クラスをまとめた。
今回その演奏が有った。
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少し写真も載せたい。プライバシに触れないように小さくした。
これでいいか?。
まあいいか。
実は、動画もある。が関係者以外は見せない。
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先生にいろいろおしえていただいた。その記憶がみんなある。
そのお礼を先生に改めて言う。が、先生としては、確かな記憶も無い。
が、感謝の気持ちはいつまでも変わらない。それで良い。
先生は、少し耳が遠くなった感じ。大きい声で尋ねなければいけない。
今、「司馬遼太郎の「龍馬がいく」を再度読んでいる」という。
俺は、思いを巡らす。同年に近いはずだ。広島師範で終戦。死骸の片付けをしたと聞く。
細かい事は聞いていない。今更、聞くことも無い。
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2次会も出た。が急に疲れがでて、終わりにそのまま帰る。
後から考えると、1次会でやめて、先生と一緒に帰ればよかった。
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昭和の2700クラスについてふれる。こんな素敵なクラスもそお無い。
名簿をもらった。男38名。その中消息のわかるのが18名ほど。女、18名で、不明は1名。
そのうち男9名。女12名。まあ男が移動が多いのもわかる。でも女でも結構東京方面に出ている。
出て行くのは、そういう時代だからでもある。
ただ、女はみんな、可愛く、その上、愛想がよく、その上、・・ここが大事だが、
仲がよかった。
美人が集まると、派閥ができそうだが、それがない。その上、個性も有った。
それる・・。歌手舟木一夫に「街に花咲く乙女たち」という歌を知っているかい。
  カトレアのように 派手なひと  鈴蘭のように 愛らしく  また忘れな草の 花に似て気弱で   さみしい 眼をした子
みんなみんな どこへゆく街に花咲く 乙女たちよ,みんなみんな どこへ ゆく街に花咲く 乙女たちよ

黒髪をながく なびかせて 春風のように 笑う君 ああ 誰もがいつか 恋をして はなれて嫁(とつ)いで 行くひとか
みんなみんな 咲いて散る 街に花咲く 乙女たちよ 【Chorus】みんなみんな 咲いて散る 街に花咲く 乙女たちよ

あの道の角で すれちがい 高原の旅で 歌うたい また 月夜の銀の 波の上 ならんでボートを 漕(こ)いだひと
みんなみんな 今はない 街に花咲く 乙女たちよ 【Chorus】みんなみんな 今はない  街に花咲く 乙女たちよ
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思い出は、修学旅行。切れ目なく「歌っていた」。。歌集をみんなで覗き込んで、・・百や200の歌は歌った。
広島あたりで赤塚不二夫の「お粗末君」のシェーをみんなでした。戦後の古臭い教室はいつも花が咲いていた。
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東京方面の子は久しぶりである。たしか娘が小学生の頃、信州蓼科で会った、それ以来だ。20年近くなるか。
その時も、よく世話してくれた。感謝である。今回も段取りしてくれた様だ。あの時と変わらない.たのしいじかんで有った。
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行って「本当に良かった」。 2年毎に、東京、名古屋の中間辺、静岡辺りで会いたいと、アンケートに書いた。次会はいつあるか??

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