-----no.9764----2018、11月30日(金曜、18時、夜 )------

日誌の遅れを補う。
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月1回の例会を完全に忘れていた。
否、半田の講習を優先したのだったか。
相当前の事で確かで無い。
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先月も休んだ。その時も、柿を頂く。
今回も又頂く。
家にも柿の木が有り、
それはほとんど手付かずでまだ、木になっている。
みんな、鳥の食料になりそうだが、
そろそろ、収穫しよう。
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本題である。
資料を頂くが、その分の殆どのタイトルが、
右図となる。
新聞があり、石松と三十石船、
最近の政治家の系図もある。
飛鳥時代の天皇家の系図もある。
塩原太助もある。
小野篁もある。
土佐日記もある。
冷泉家の文字も出てくる。
百人一首の崇徳院も出てくる。
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これだけ出てくると、どうまとめたらいいか想像もつかない。
ただ、以下だけ調べた。
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塩原太助(しおばら たすけ、
寛保3年2月3日(1743年2月26日) - 文化13年閨8月14日(1816年10月5日))は、
三遊亭円朝の「塩原多助一代記」で有名な江戸時代の豪商。
幼名は彦七。裸一貫から身を起こし、大商人へと成長。
「本所に過ぎたるものが二つあり、津軽屋敷に炭屋塩原」と
歌にまで詠われるほどの成功をおさめた。
こうしたサクセスストーリーが、多くの人々の心をつかんだ。
戦前には立志伝型人物として教科書にも登場した。
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これをどう理解したらいいのか・??
生きたのは江戸時代だが、
円朝が普及させたと考えると、明治が出てくる。
「明治のどりーむ」で取り上げられたと見た。
「坂の上の雲」の時代のBGMと考えた。
之、明治政府が教科書に取り上げた様だ。

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