-----no.9925----2012、12月15日(土曜、19時、夜 )------

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二頁分をまとめて一頁で書く。
吉良毎歳忌と上杉講演。
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先ず、毎歳忌を簡単に述べる。
衣浦大橋を超えたのが8時18分。遅い
受付は9時02分。
いつもの様に、赤馬もなかと、スケジュール。
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山門を登り、赤馬音頭は終わっていた。
甘酒を頂き、日向を探し、聞いていた。
時間通り、無事終了。
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少し雑感を述べる。
黒い法被の人が居た、背中は「絆、キラ、1955ー2011」とある。
つまり、吉良町は昭和30年から去年まで、
明治期は控えたのだろう。
戦後10年明治軍国国家が終わる。で吉良町と言える。
今調べたいのは、江戸期、吉良村があったか否かだ。
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もう一つ、大村知事がいて、何か喋っていた。
俺には、見当はずれの話だったと思う。
同様の事を、講習会でも言っていた。
この男、どちらか言うとまだ、赤穂よりの考え。
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会長さんのような人の声も少し録音したが。
この日世間では、「押し込み武力集団」が騒がれるが、
一方、こちらは「冥福を祈る」と。
この言葉、去年のこの日も聞いた。
何度でも言う。
明治軍国主義が終わるか否かの判断をこれで俺は図る。
赤穂は市で残り、吉良町は去年消えた。
西尾市吉良でほそぼそ残った。
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10時に終わり、11時から講演会。
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上杉17代当主。上杉邦憲氏。
題。「義之系譜」。
とても面白い。
結論を言う。
「勇をもって、義を行うことの難しさ」だ。
一、関ヶ原・・・X
二、元禄事件」、義周。・・・X
三、鷹山・・・△
四、奥州越列藩同盟・・・x
五、沖縄県令・・・・X
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「義」はどこにあるか。
直江兼続も、義。だが家康は不義と言う訳でもない。が、好きな人もいるだろうが、嫌いな人もいる。
緒川の人は「松平」を誇る。が、「義」と「処世術」を比べると、後者の人だ。
が、これが、戦国の世で、悪くわ言わない。
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只、俺の嗜好として、「松平」より、「上杉」「吉良」を思う。
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余談である。氏はJAXAの人だ。でも、上杉謙信公を名誉に思っている様子が随所に見え、 感動だった。
今の世、家を大事にしながら、それ以上に、現職を誇っている。
今、「はやぶさ」が、こんなに騒がれた。 金で解決でなく、情熱で解決しているようだ。

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