-----no.10007----2012、12月24日(月曜、08時50分、朝 )------

----------------------
21日の夜の事。
時間を確かめて行く。7時。
9時過ぎまで懸り、係りの人が注意に来た。
30分前ぐらいに終わり、後は質疑応答にすべきだと思う。
時間が過ぎてから、質問は?と言われても困る。
一般の講習でも「質問を受けないのもあるし受けるのもある。
例えば、碧南の新行さん、西尾赤穂の上杉さんも受けなかった。
それは紊得できる。レベルが違いすぎる。
が、この歴史会は同好会である。
であれば、半分ぐらいは質疑の時間にすべきだ。
--------------------------
本題以外にも、雑多な報告がある。
歴史新聞、旅行社の検定、竹田城、その他。
これらは、極力短くすべきだろう。
その中で、「文協のあゆみ《があつた。
今、初めて、この会が単なる同好会で無く、
上部団体がある事を知る。
いや、それらしい動きは以前授賞式でも知った。
そこには予算も有り、町から160万程受けているらしい。
817吊の会員が入るので、一人辺2000円の補助となる。
これが多いか少ないかを判断できない。
生き生きと健康にやれていれば、安いと考えるべきか?
----------------------------------
扨、本題。
三河一向一揆だ。
細かい内容を今更話す気にはならない。
それは、ほぼ、文学の領域であるから、
歴史とは言えない。司馬遼太郎や宮城谷の話だ。
-------------------------------
本証寺については、少し述べる。
現在、安城市が盛んに、調べている。
明治の廃藩置県のとき、また伊奈の検地の時、
当然、江戸時代の時も見ている。
が、永禄六、七年頃は一応妥協したが、天正十八年頃に、
此処が家康が関東へ、
そして、秀吉時代はどうなるかがあまりよく分からない。
結局、安城教育の見解は出ていない。未定だ。
今、石垣の内堀があるが、石垣何かで騙されない。
此処は海抜は高くない。
で、単なる農業の灌漑ようの水路という意見もある。
現地に行きわかるのは、川の水面とどの程度差が有るかぐらいだ。
が、川の高さも変わっているから、結局分からない。
するとどうしても、文学の世界で、片付けてしまうことになる。
--------------------------
定かでない歴史がそれでも俺は好きだ。
この家康の態度がどうしても信長と対比したい。
信長は、反対者に対し、圧殺した、
家康は妥協した。
「この違い《をいつも考える。
家も違う、性格も違う、幼少期も違う。
--------------------------
生きていれば誰でも、反対者がでてくる。
その時、あなたはどうする。
信長で行くか、家康でいくか。
日本人は「家康《タイプが多い。
私は、家康タイプで行きたいと思いながら、
逃げてニヒルになり、考えは「信長《的で、
でも、信長になれない自分が居る。
--------------
又、歴史の中に自分を探している。

2012年09月へ