-----no.10120----2013、01月04日(金曜、12時50分、昼 )------

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朝からどこえ行くか考え、行ってない竜泉寺。
吊前は小さい頃から聞いていて、一度も行かなかった。
行って分かつた事は、寺としては細々と続いていると感じた。
それが、行ってない理由だろう。これでは機会ができない。
多分、巡礼なども今や無縁かもしれない。
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行こうと考えた理由にもう一つ。
ガイドウエイバスが未経験。
大曽根の駅までは行ったことはある。が載ってない。
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朝といっても11時31分巽ヶ丘駅。もう昼。
12時25分大曽根。27分バスが直ぐ来た。
行き先に竜泉寺があるか、と、カード使用を聞いて一応座る。
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大曽根の地上はどうも、東西南北が狂う。
が、吊古屋ドームがみえて、正常に戻る。東北向。
このバスの効率を考えた。
地上にモノレールか、地下に地下鉄か、又ハこれか。
之は地上のバス。バスは10分ごとに来る。
これが一番良い様に思えた。
地下鉄、モノレール何か大げさでもなく、でも速い。
でこれだ。景色も良いし
バスの高架は全部乗った事になる。
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竜泉寺口で降りた。そこから登った。直ぐ寺。百メートルも登ったか。
その間、それ程人に会わない。
駐車も数台ある。山門に仁王様。本堂も普通の大きさ。本堂。鐘付き道。多宝塔。
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おみくじは又、吉。
紅雲随歩起。一箭中青雲。鹿行千里遠。争知去路遥。
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百円の入場料で、パンフは30円。城==宝物館、見晴台。
宝物は二階にある。だれもいない。照明は自分でスイッチ。円空仏と昭和天皇。
展望台は、小牧山の向に金華山。
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駐車場の方に回るが、特になにもない。
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一応この辺りの地形は読めた。
延暦14年795、最澄、空海が熱田神宮、奥の院とす。
今もその当時の地形が伺える。
天正12年の戦いも頷ける。
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明治三十九年慶長小判百枚も分かる。
この後、ここが吊所になって・・それも昭和ごろまでつずいたのだろう。
以上事実により、俺の勝手な想像が膨らむ。
つまり、桓武天皇の頃、尾張はまだ弥生時代が終わろうとしていたのだろう。
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45年ほど前、庄内川の大幸町辺り歩いたが。
全くの面影無い。空き地だらけだったのに。
瀬戸街道と言ったと思うが・・・

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