-----no.10211----2013年01月12日(土曜、08時40分、朝 )------

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古文書を読み返してから、ページを作ろうと思ったが、
読まずに頁を作る。
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干し柿を2ッ頂き、もう、一ッ食べた。
否、今現在、当然2ッとも食べた。
美味しかった。
袋まで用意して頂いたので、その場では食べなかったのだ。
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本題に入る前にもう一つ。
半田の行事だが。
亀崎寄席があるようだ。
それと、南吉では2月22、23日何かyるようだ
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この頁は、地図に関しての2頁目となる。
2日前の地図を又、見た。
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どの位、正確か。
紙の貼り付け何か隣の紙とずれてる様なのもある。
此れは原本もそうかもしれない。
本物でもよくずれている。だから、その点なんとも言えない。
ただ、元禄の和紙と昭和の和紙は当然違うだろうし、
コピーだとは、鑑定すればわかるだろう。
が、
文字は相当注意しながら複製しただろう。
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で、文字を見る。
以下
田原城、三宅備前守、七百三拾八石余、田原町
吉田城、久世出雲守、、五百拾七石余、吉田町
新城、 菅沼織部?所、
西尾城、土井式部少輔、、千六百三拾四石余、西尾町
岡崎城、水野監物、、  千六拾四石余岡崎町
以上が城下町。
町の石高だが、課税対象分と考えるが、ひょっとして、田畑もあったのか。
いずれにしても、
石高で、人口も推定できそうだ。
ただ、商人に対する課税をどう考えるか。
元禄十四では、無税かも、幕末は上紊金が相当増えるが・・
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御油町、七百??石余
赤坂町、八百九拾四石余
当然、街道も課税対象だが、
赤坂は大きい九百石近い。陣屋が有ると考えるベキだ。
では、重原は????
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重原陣屋石碑写真
幕末と考えると、元禄はどうか??
--------------------- 家に急いで帰り、孫に会う。

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