-----no.10337----2013年01月23日(水曜、23時00分、夜 )------

昼前11時頃出かけた。
飯でも食うか・・という感じ。
半田の青山で吊鉄が高架を走っていた。これが11時59分
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単に飯だけで出たのではない。
武豊を見たかった。11月の講習で長尾城跡が有った。
それが見たかった。工事中ということでもっと早く行こうと思いながら、今日に成った。
序でに半田の成岩神社も見たかった。
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駐車場を探し、取り敢えず武雄神社前に止めた。
お祈り。
祭神は・・須佐之男命・・とある。
神紋は合わせ紋だが、なんというのか。
二ッ巴と四ッ花。???
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説明板がある。月詠の森・・
此処の月は綺麗だと・・だったのが想像できる。
海から上がる月は、その向こうは大浜か。
奈良時代から、永禄四年まで。
終はわかるが、始まりは相当ふるそうだ。
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地吊は・・金下・・かなげ・・と読む。
これは、神奈備の下・・から来ているとある。
なるほど。
そうなると、仏教伝来いぜんの古さ。
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次、長尾城の可能な限り近づき、一周。
廻りを住宅が取り巻く。
重機が居るので、これで、この遺跡は消えたと考えるべきだ。
残念。
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武豊小学校は避難所として標高9.1mとある。
城としては、前の低地、海岸に備えたと見える。
武雄神社の前に位置する。そこには田畑があったのだろう。
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図書館に寄る。
尾張の古城が11月講義の原本。
武豊の史跡地図がある。
長尾城は岩田城ともある。
近くに貝塚、古墳が多い。
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行き止まりの道、狭い道が多い。
小学校の回りも見た。
200年前は、山林と思える。
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郷土資料館へ行く。
古地図のコピーがある。
江戸時代は長尾村である。明治11年に武豊村だ。
この長尾村結構大きい。
かなげ・・山城・・産大神・・の字が見える。
そこに川が流れる。
今は地下か。
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1時50分半田へ向かう。

庄屋は三井家の様だ。
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