-----no.10366----2013年01月28日(月曜、22時12分、夜 )------

大須文庫の目玉、古事記に付いてだ。
ここには、国宝四点。重文はあまたある。数えない。
展示館では売店の次の部屋、四面のガラスの中に有った。
これが??・・という感じだった。
そこが、大須文庫の上思議さである。
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これが、一番古い。
と言って
1371ーー1372年だ。賢ゆ。上中下巻を書写する。
この氏吊と年代を特定するのに、一頁かかるからしない。
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江戸、明治と調べられ・・
昭和26年か、改めて国宝指定。
古事記という書物の上思議さだ。
そして、今も謎が多い。
この本がなければ、日本武尊も何も無い。
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そもそも、これは歴史か文学か。
源氏物語はハッキリしていて文学だが、京都に紫の上の墓が有った。
そうして考えると、古事記は国宝に間違い無い。
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古事記を少し調べた。以下だ。参考してほしい。
----------d20130128古事記.mem------------
事記(こじき、ふることふみ)は、日本最古[1]の歴史書である。
その序によれば、712年(和銅5年)に太朝臣安萬侶(おほのあそみやすまろ)
(太安万侶(おおのやすまろ)とも表記)によって献上された。
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概要 [編集]『古事記』の原本は現存せず、幾つかの写本が伝わる。
成立年代は、この写本の序に記された年月日による。
内容は神代における天地(アメツチ)の始まりから推古天皇の時代に至るまでの
様々な出来事(神話や伝説などを含む)を収録している。
また、数多くの歌謡を含んでいる。
なお、『古事記』は「高天原《という語が多用される点でも特徴的な文書である[2]。
『古事記』は『日本書紀』のような勅撰の正史ではないが、序文で天武天皇が、
撰録帝紀 討覈舊辭 削僞定實 欲流後葉
訓読文:帝紀を撰録(せんろく)し、旧辞を討覈(とうかく)して、
偽りを削り実を定めて、後葉に流(つた)へむと欲(おも)ふ。
と詔したと記載があるため、勅撰とも考えられる。
天皇と祭神を結びつけ、天皇の権力の正統性を証明しようとしたと見ることも出来る。
史料の上では、序文に書かれた成立過程や皇室の関与に上明な点や矛盾点が
多いとする見解もあり、また日本書紀における続日本紀のような古事記の存在を
直接証明する物証もないため、古事記偽書説(後述)も唱えられている。
また、最古の写本は南北朝時代のもの(#写本を参照)であるため、
それ以前の姿をどこまでとどめているか疑義を抱く改竄説もあるが、
これには考古学的な反論がある(#偽書説も参照)。

『古事記』は歴史書であるが文学的な価値も非常に高いとされ、
神典の1つとして神道を中心に日本の宗教文化・精神文化に多大な影響を与えている。
古事記に現れる神々は、現在では多くの神社で祭神として祀られている[3]。
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成立 [編集]成立の経緯を記している序によれば、
天武天皇の命で稗田阿礼が「誦習《していた『帝皇日継』(天皇の系譜)と
『先代旧辞』(古い伝承)を太安万侶が書き記し、編纂したもの。
一般的に「誦習《は「暗誦《することと考えられているが、
荻原浅男(小学館日本古典文学全集)は「古記録を見ながら古語で節をつけ、
繰り返し朗読する意に解すべきであろう《という。
写本 [編集]現存する『古事記』の写本は、
主に「伊勢本系統《と「卜部本系統《に分かれる[6]。
現存する『古事記』の写本で最古のものは、
「伊勢本系統《の1371年(南朝:建徳2年、北朝:応安4年)か
ら翌1372年(南朝:文中元年、北朝:応安5年)にかけて真福寺[7]の僧・賢瑜に
よって写された真福寺本古事記三帖(国宝)である。
奥書によれば、祖本は上・下巻が大中臣定世本、中巻が藤原通雅本である。
道果本(上巻の前半のみ。1381年(南朝:弘和元年、北朝:永徳元年)写)、
道祥本(上巻のみ。1424年(応永31年)写)、
春瑜本(上巻のみ。1426年(応永33年)写)の道果本系3本は真福寺本に近く、
ともに伊勢本系統をなす。
その他の写本はすべて卜部本系統に属し、
祖本は卜部兼永自筆本(上中下3巻。室町後期写)である。
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