-----no.10407----2013年02月01日(金曜、08時07分、朝 )------

先ず、右図だが、この日に受け取る。
福祉大から岡崎に行った時のものらしい。
個人蔵との事。
箱があるが、箱裏書きが知りたい。
多分ないのだろう。
明治、否、昭和の作と思う。明治は家康は朝敵だから作らない。
昭和になり江戸時代懐かしむ頃作成かも。
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永禄拾弐年が見える。今川義元は同三年に消える。
子、今川 氏真(いまがわ うじざね)は生涯は、
生誕 天文7年(1538年)死没 慶長19年12月28日(1615年1月27日)
この頃を探すと以下だ。
-----以下-----------
掛川城の開城後、氏真は妻早川殿の実家である北条氏を頼り、
蒲原を経て伊豆戸倉城に入った(大平城との見解もある[11])。
のち小田原に移り、早川に屋敷を与えられる[12]。
永禄12年(1569年)5月23日、氏真は北条氏政の嫡男・国王丸(後の氏直)を猶子とし、
国王丸の成長後に駿河国を譲ることを約した
(この時点で嫡男の範以はまだ生まれていない)。
また、武田氏への共闘を目的に上杉謙信のもとに使者を送り、
今川・北条・上杉三国同盟を結ぶ(実態は越相同盟)。
駿河国では岡部正綱が一時駿府を奪回し、
花沢城の小原鎮実が武田氏への抗戦を継続するなど今川勢力の活動はなお残っており、
氏真を後援する北条氏による出兵も行われた。
抗争中の駿河に対して氏真は多くの安堵状や感状を発給している。
------以上-------------
此処でこれの真贋だが。
以前、安城歴史館で、義元、氏真の発給状を見たことがある。
半紙状のモノで、解説付きでやっと読めた。
それと比べると、様子は全く違う。
天正三年の長篠の迄の今川の動きは注意したい。上明が多いので。
(今、急ぐので)
結論を言う。
当時のモノでは無い。つまり、原本は紛失又ハ破搊した。
で、それを思いだし、子孫が江戸初期1650年ころ作ったと見た。
これでどうだ。
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以下が、当日の読みの起こし。
家茂の喪のお触れが主だ。
八月二十九日から、九月六日は完全に喪。
途中九月三日に道中手形発給がある。
九月六日、一部職業は、活動を許される。
農家は、触れてない。
職人だ。この頃、相当職人が増えたのだろう。
また、落ち武者・・というほど高級でもあるまいが、
戒厳令中と言える。

=============d20130131古文.mem============
五月は五回有り
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別紙之通
公方様、被遊
崩御候二付、事静、物静、可仕候間
村々、并、寺社之類迄、上洩様、可被触達候
且、願済之祭事、并、寺々法事
法話之儀、遠慮、可仕候、釣鐘
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撞鳴候義も、是又、遠慮、可仕候、
但、出火之節者、上苦候、飯米
搗立候義、往還筋丈ハ、遠慮、可
仕候、在筋ハ搗立、上苦候、此段、可被
相心得候、且、刻付二而、次村江、早々
順達、可被罷候、右之通、村々江、相達候
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 以上
   八月二十九日、午刻出
    竹内隆助
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此頃、願有之候、仲蔵、出府二付
御関所、手札弐通、今日、御下、被下有之候間
右請取二村役人壱人、可被罷出候
 以上
  九月三日
           竹内隆助
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一、桶屋 但、外江、出、致細工候義、
         可致遠慮候
一、綿打 
一、鍛冶屋
一、油〆屋
一、瓦屋
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一、大工 但、外江出、致細工義者
      可致遠慮候、尤、普請ハ追而
      御免迄、差控,可申候
右、家業之者共、只今迄、物売いたし
候義、停止、被_仰出置候処、被成
御免候間、 此旨、在中、相触
可申候、以上
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 寅九月六日
      役所
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別紙之通、被_仰付候間
御領分、村々、并、寺社之類迄、上洩様
可被触候、以上
  九月六日
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長防、并、上方筋より、脱走之軽輩共
又ハ、近宿之、往還稼のみにて
極貧之者共、旅行上足等之節ハ
穀、高に付、難渡折節、在郷江、罷越
合力等、頼縣、押強之由、相聞候、右ハ
両様共、無分別者故、若々、理上尽
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之事共二至り、及迷惑候ハバ、先
穏便二なだめ置、早速、可届出候、
且又、平常、上身持、遊民共
諸色、高値二付而ハ、貧迫より、自然と
事、起、心得違之手業にも、可及
殊二、寄候ハバ、ヶ様成、世柄二付、無宿
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無頼之者、其外とも、在郷、徘徊
致シ小盗ミ等、可致も難計候、秋
盛り二も、相成候得ハ、上始末之向
稲たば、其外、野あらし、畑荒し
等二而、紛失物之義茂、難計
油断之ならざる世柄二付
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役所よりも、為取締、忍廻り折々
差出、見廻り役、并、番人とも打込
繁繁、臨時廻り方、申達置候
右二付而者、施村々二茂、夜番、相立
節々、廻り方等、入念、昼夜とも銘々
無油断、取締方、申談、可被取計候、
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一、風災後、兎角、上時候二付、追々
穀、高二相成、極貧之者共、朝飯ハ
喰とも、夕飯之心当もなく、何分
難立行、当座之困苦をのか
れんため、無余儀、心得違より
終二ハ、小ぬすみ様之事二相成候へ者
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難打捨置、組親類迄も、及大迷
惑候、又者、家族共、離散、是兆もなく
袖乞二、出候義も、難計、右様成ものの
内、多分ハ、上身持おおちゃく成もの
共二而、冥利を上知者共之果と
申候内、ヶ様之世柄二付、たちまち
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